旗指物系(のぼり旗、ながれ旗)ページのご案内
| 戦国武将ミニのぼり旗1 | のぼり旗 商品No.F01〜F99、 |
|---|---|
| 戦国武将ミニのぼり旗2 | のぼり旗 商品No.F100〜、F300〜、F400〜 |
| 戦国武将ミニのぼり旗3 | ながれ旗No.F200〜、のぼり旗(限定制作品) |
| 戦国武将ミニのぼり旗4 | のぼり旗 特別制作(諸将旌旗図屏風シリーズ) |
| 戦国武将ミニのぼり旗5 | のぼり旗 特別制作(武田二十四将シリーズ) |
| その他の旗 | 平安後期〜鎌倉、南北朝〜室町、江戸 |
| 【のぼり旗共通仕様】旗:縦10×横8cmポリエステル、スタンド:高さ20cm スチロール(プラスチック)台座裏面に鉄のおもりがついています。 |
||
穴山信君(あなやまのぶきみ)![]() 武田親族衆の筆頭、母は信玄の姉、 妻は信玄の娘なので、信玄は叔父であり、 信玄の義父でもある。 文武に秀でた文化人でもあり領民からは 名君といわれました。 後年武田氏を離れ徳川家康に降る。 |
|
|
| 甘利虎泰 (あまりとらやす) ![]() 甘利氏は代々武田氏の族臣で、 虎泰は武田家最高の政治機構とされた 「識(しき)」の任にありました。 合戦時は先陣をつとめた剛の者としても 知られています。天文17年の上田原合戦で討死。 |
|
|
秋山信友(あきやまのぶとも)![]() 秋山氏は甲斐源氏の流れをくむ 名族。信友は信州伊那地方の飯田城代として 織田信長を牽制しました。 西上作戦では岩村城を落城させますが、 長篠の敗戦後に捕らえられ処刑されました。 |
|
|
板垣信方(いたがきのぶかた)![]() 武田氏の族臣、信玄の傅役。 甘利氏とともに武田家最高の政治機構とされた 「識(しき)」の任にありました。 信玄の唯一の敗戦といわれる「上田原の戦い」で戦死。 |
|
|
一条信竜(いちじょうのぶたつ)![]() 武田信玄の異母弟。 騎馬百騎を預かり、副大将格で信玄を補佐。 設楽が原の戦いでも味方が退くのを確認するまでは 動かなかったという 豪胆な武将。武田家滅亡後、捕らえられて処刑される。 |
|
|
飯富虎昌(おぶとらまさ)![]() 「武田の赤備え騎馬軍団」の首領。 武田家譜代の重臣で「甲山の猛虎」と 恐れられる豪勇でしたが 信玄の息子:義信の謀反事件に かかわって処刑される。 |
|
|
小山田信茂(おやまだのぶしげ)![]() 武田親族衆、信玄と従兄弟。 岩殿山城主。武田家滅亡直前に離反。 織田側では主家を裏切った 不忠者として捕らえられ切腹しました。 |
|
|
小幡虎盛(おばたとらもり)![]() 8歳の頃に父親が武田に被官し 元服の時に小幡氏を継ぐ。「武田の鬼虎」 の異名をもつ剛将。 「よくみのほとをしれ」(よく身の程を知れ)の遺言でも有名。 |
|
|
小幡昌盛(おばたまさもり)![]() 虎盛の嫡男。旗本足軽大将。 「甲陽軍鑑」を集大成した軍学者小幡景憲の父でもある。 武田家滅亡の5日前に病死。 |
|
|
武田信繁(たけだのぶしげ)![]() 信虎の二男・信玄の同母弟。 典厩(てんきゅう)信繁が通り名になっています。 つねに武田副大将として活躍。 第4回目の川中島の合戦で戦死しました。 ※余談ですが、真田幸村の正式な名前は 真田信繁です。父・昌幸が典厩信繁の武勇に 深く感じ入り幸村に命名したといわれています。 |
|
|
武田信廉(たけだのぶかど)![]() 信虎の三男・信玄の同母弟。 信玄の没後に剃髪して逍遥軒(しょうようけん)と 号しました。画家としても優れていた文化人。 信玄によく似ていたといわれ数々の合戦で 影武者をつとめていたと伝わっています。 ※信玄が影武者を実際につかったかどうかは不明です。 |
|
|
多田満頼(ただみつより)![]() 伝説的な武勇が多く甲陽軍鑑では 「甲陽の五名臣」にあげられています。 川中島の合戦直前までは足軽隊将として 活躍しています。史料にとぼしく村上義清の 臣だったとも、美濃出身ともいわれています。川中島合戦中に病死。 ※甲陽軍鑑(こうようぐんかん)とは20巻からなる甲州流軍学書。 信玄・勝頼2代の事蹟や軍法を中心に書かれ、 江戸初期に完成しました。 |
|
|
真田信綱(さなだのぶつな)![]() 信玄の隠れた軍師といわれる真田幸隆の 嫡男。川中島の戦いでは旗本組として活躍。 三方ヶ原でも先陣をつとめる。 真田氏を継いだ翌年の長篠の戦いで戦死。 ※真田氏特集ページはこちら |
|
|
三枝守友(さいぐさもりとも)![]() 甲斐武田氏に名族三枝氏を一族の石原 守綱が再興することを許されての3代目。 守友は信玄、勝頼の2代に仕えました。 勇者として評判を高めた守友が譜代の 山県昌景の猶子となり山県善右衛門と なったとの説もあります。長篠の戦いで戦死。 |
|
|
| 三枝氏の三階松紋は霊芝ともいわれます。霊芝の別名「福草」は「サキグサ」と読みます。 第23代顕宗天皇のとき、ある廷臣が宮殿近くに生えた三つの枝の霊芝を献上したところ 「おおサキ草じゃ。以後汝も三枝のサキグサと申せ」と連(むらじ)の姓を賜りました。 それから霊芝をサイグサと呼び、三枝を当てたと言われています。 霊芝の家紋はいつの間にか形状の似た三階松になってしまったそうです。 |
||
山県昌景(やまがたまさかげ)![]() はじめ飯富源四郎。信玄の嫡男義信と その重臣だった兄:飯富虎昌の謀議を訴え出て、 三百騎の侍大将に昇進。 その後、名門山県氏の名跡を継ぎました。 |
|
|
山本晴幸(やまもとはるゆき)![]() 「勘介」の方が有名。 甲陽軍鑑によると三河出身。 各国の事情に精通し天文・兵法・槍術など 武芸を体得した兵法者でした。自らが提言した川中島の戦いの 「きつつき戦法」が上杉軍により裏をかかれてしまい戦死。 |
|
|
| 馬場信春 (ばばのぶはる) ![]() 信虎、信玄、勝頼に仕えた譜代の老臣。 旧姓・教来石(きょうらいし)景政。 信玄の命により馬場氏を継ぎました。 長篠の合戦で戦死するまではかすり傷ひとつ 受けなかったという智勇兼ね備えた猛将です。 |
|
|
原虎胤(はらとらたね)![]() 信虎、信玄の二代に仕えた武将。通称 「鬼美濃」で有名です。千葉氏(平家)の 後裔で信虎の代に甲斐に移り迎えられました。 勇猛さと美濃守であったことから 「鬼美濃」と呼ばれましたが、情に厚い武将でも あったようです。※原虎胤亡き後、馬場信春が 「鬼美濃」にあやかれと、美濃守を 名のることを許されています。 |
|
|
原昌胤(はらまさたね)![]() 甲斐の旧族。騎馬武者をひきいた隊長で 陣場奉行を務めました。 職がら華やかな戦歴はありませんが、 縁の下の力持ち的存在でした。 上記の原虎胤とは全く別の系統です。 |
|
|
高坂昌信(こうさかまさのぶ)![]() 信玄、勝頼に仕えた知将。 もとは石和の豪農・春日大隅の子。 川中島の合戦の功により名族高坂氏を 継ぎました。長篠の合戦の際は上杉勢の牽制 のため海津城にとどまっており、その後病没。 (甲陽軍鑑の原作者でもあります。) |
|
|
内藤昌豊(ないとうまさとよ)![]() 信玄、勝頼に仕えた副将格。 武田信繁(信玄の弟)の没後は こう評価されていた器量人でした。 はじめ工藤祐長。関東の箕輪城攻略後、 信玄の命により名族内藤氏を継ぎます。 長篠の合戦には味方の 不利を訴えつつも受け入れられず戦死。 |
|
|
土屋昌次(つちやまさつぐ)![]() 信玄、勝頼に仕えた若手武将。 はじめ金丸平八郎。川中島の合戦後、 信玄の命により名族土屋氏を継ぎました。 17歳の時に川中島で初陣。この時 信玄の側を離れずに応戦して守るなど 武勇も多いですが長篠の合戦で戦死。 |
|
|
横田高松(よこたたかとし)![]() 信虎、信玄に仕えた足軽隊将。 もとは伊勢の住人(甲斐にきたいきさつは不明)。 板垣、甘利、飯富隊とならんで精鋭部隊といわれ、 有名な「砥石くずれ」 (信玄VS村上義清の戦い・上田市) で殿をつとめ戦死。 |
|
|
| 真田幸隆 (さなだゆきたか) ![]() |
|
|
| 曽根昌世(そねまさただ) 調査中 信玄、勝頼に仕えた情報系の武将。曽根氏は武田氏の古い分流で昌世もその後裔と伝わっています。 検使役もつとめ三増峠の合戦では、戦死した浅利信種のかわりに指揮をつとめ武勇も高めました。 |
||
※陣場奉行とは合戦時に地の利、水の利などの地形を見極め、味方が有利に戦える場所や 築城予定地を選定したり、戦況を監視しつつ次の作戦の陣取り計画をたてるなど地味ではありますが、 切れ者でなければ務まらない重要なお役目でした。 このほかに真田昌幸が養子へいっていっていたころの武藤昌幸名で 加わっている場合や、甘利氏からもう一人昌忠が加わる場合もあります。 参考文献:武田神社発行「名将武田信玄」 |
||
| 商品番号 錦絵絵葉書 「錦絵に見る 川中島合戦と 武田二十四将」 ¥1,838(税込) 32枚セット 化粧箱入り | |
|
※郵便番号欄が5桁の時代の絵葉書です。どうぞご了承下さい。 葉書縦15×横10.5cm 外箱縦15.7×横11.5cm厚み1.5cm |
| ★セット内容★ | |||
| No | 作 者 | 題 名 | 原 画 所 蔵 |
| 1 | 五雲亭貞秀 | 甲越川中島大合戦(一部) | 山梨県立美術館 |
| 2 | 五雲亭貞秀 | 甲越川中島大合戦(一部) | 山梨県立美術館 |
| 3 | 五雲亭貞秀 | 甲越川中島大合戦(一部) | 山梨県立美術館 |
| 4 | 一勇斎国芳 | 川中島大合戦(武田信玄・上杉謙信) | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 5 | 一勇斎国芳 | 武田 上杉 川中島大合戦之図 | - |
| 6 | 一勇斎国芳 | 川中島合戦 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 7 | 玉蘭斎貞秀 | 川中島大合戦之図 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 8 | 錦朝樓芳虎 | 筑摩川対陣図 | 山梨県立美術館 |
| 9 | 玉蘭斎貞秀 | 上杉武田対陣矢合之図 | - |
| 10 | 一勇斎国芳 | 川中島合戦謙信車懸 | 恵林寺武田信玄公宝物館 |
| 11 | 一勇斎国芳 | 川中島大合戦 備を立直す図 | 山梨県立美術館 |
| 12 | 一陽斎豊国 | 謙信武田の旗本へ乱入之図 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 13 | 玉蘭斎貞秀 | 軍法八陣略図 | 恵林寺武田信玄公宝物館 |
| 14 | 一猛斎芳虎 | 影武者 | 恵林寺武田信玄公宝物館 |
| 15 | 一登斎芳綱 | 川中島勘助勇戦図 | - |
| 16 | 一英斎芳艶 | 川中島大合戦組討盡 上杉景虎・馬場美濃守 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 17 | 一英斎芳艶 | 川中島大合戦組討盡 長尾信景・原美濃入道 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 18 | 一英斎芳艶 | 川中島大合戦組討盡 松本杢助・穴山梅雪 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 19 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 武田家廿四将 (武田信玄) | - |
| 20 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 武田家廿四将 (武田信繁) | - |
| 21 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 武田家廿四将 (穴山信良) | - |
| 22 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 武田家廿四将 (甘利晴吉) | - |
| 23 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 武田家廿四将 (小山田昌辰) | - |
| 24 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 武田家廿四将 (山本晴幸) | - |
| 25 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 上杉家廿四将 (宇佐美定行) | - |
| 26 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 上杉家廿四将 (柿崎景家) | - |
| 27 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 上杉家廿四将 (松本杢助) | - |
| 28 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 上杉家廿四将 (銕英武) | - |
| 29 | 一勇斎国芳 | 甲越勇将伝 上杉家廿四将 (宇野高政) | - |
| 30 | 鳥居清信 | 武田廿四将図 | 山梨県立美術館 |
| 31 | 一寿斎芳員 | 武田廿四将画像 | 山梨県立図書館甲州文庫 |
| 32 | (作者不詳) | 武田廿四将図 | 山梨県立美術館 |

銀の双股大根、猩々緋、一段幡連の馬印
銀輪違いに朱の一段幡連の馬印、
旗一ト流、唐人笠の馬印を押し立て、
総浅黄地の
銀の菅笠に猩々緋二段幡連の馬印、その勢二千人は穴山伊豆入道梅雪なり。
二段鳥毛の馬印は、小山田備中守信俊なり。
銀蛇龍の馬印は、秋山伯*守信親なり。
金三光の馬印は、仁科上野介信次なり。
金団扇の馬印は、小幡山城守虎盛入道なり。
金二ッ団子の馬印は、
銀の五枚柏に角取紙の馬印は、保科弾正忠正道なり。
赤地に黒く山道の大幟半に、
金にて卍の馬印は、芦田上野教行なり。
三本薄に金の三ッ団子の馬印は、望月岩見守晴時なり。
金芭蕉の馬印は、三枝勘解由左衛門晴高なり。
猩々緋銀三方面武田菱二段幡連の馬印は、
金三本竹刀の馬印は、武田孫六入道逍遥軒なり。
金の扇に白縮緬の吹流付けたる馬印は、小山田兵衛尉信重なり。
銀の大わらび手の馬印は、真田兵部昌輝、
銀の唐人笠の馬印は、真田安房守昌幸なり。
槌車の大幟半に、金の三俵俵の馬印は、落合伊勢守虎正なり。
白紙の大幟半に運在天と書いたる馬印は、
屋代安芸守信貞なり。
金鎧蝶に猩々緋二段幡連の馬印は、海野常陸介幸秀なり。
の旗に修正予定)藤巴の幟半に**の馬印は、布施大和守晴房なり。
青黄赤白黒の吹流は、宝賀出羽守昌高なり。