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安土桃山通信 2002/09/15
………………………………………………………創刊前特別号
はじめまして。安土桃山通販「いろは」です。
安土桃山通信をご購読いただきありがとうございます。
創刊号は9月22日頃発行予定ですが、
今日9月15日は旧暦で「関ヶ原の戦い」の日です。
(1600年)
これが、お伝えしたくて特別号を配信しました。
みなさん、今日はどのようにお過ごしですか?
■■
■■ ………………………………………………………………
徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)の天下分け目の合戦です。
詳細はまた別の機会にさせていただき、今日は時間感覚を
体感してください。
午前1時 西軍 石田三成、大垣城を出て大垣城に到着
午前2時 東軍 家康出陣命令を下す
午前3時 東軍 家康赤坂の陣を出発
午前4時 西軍 島津軍ら主力軍続々と関ヶ原に到着
午前5時 西軍 関ヶ原西方に8万4千が布陣完了
午前6時 東軍 布陣完了
午前7時 雨はやむが視界不良
午前8時 開戦!!
東軍 井伊軍抜けがけの発砲
西軍 宇喜多軍応戦
戦闘開始の狼煙(のろし)をあげ両軍いっせいに戦闘開始
午前9時 西軍の善戦目立つ
午前10時 攻防戦互角
東軍 家康、本営を主戦場に移す
西軍 島津軍、三成の再三の督戦に応じず
午前11時 西軍 三成、傍観を続ける2万5千の出撃要請
しかし、内応の吉川・毛利軍動かず
午後0時 東軍 黒田軍小早川軍に威嚇の一斉射撃
西軍 小早川軍、突如、大谷軍の背後を襲う
大谷軍敗北(大谷吉継自刃)
午後1時 西軍 小西軍、宇喜多軍戦意喪失し崩壊
午後2時 西軍 総崩れ 三成、小西行長逃亡
午後3時 西軍 島津陣営に東軍殺到。
島津軍、東軍陣中を脱出
東軍 井伊軍などが島津軍を追撃
午後4時 ふたたび降雨
西軍 安国寺軍、長宗我部軍、毛利軍敗走
東軍 家康、島津軍の追撃中止を命ず
午後5時 東軍 家康、諸軍と勝利を祝う
………………………………………………………………………
同時に多くの武将の命日でもあります。
みんなでご冥福をお祈りしましょう!
では、創刊号であらためてご挨拶します。
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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
・メールアドレス: iroha@aduchimomoyama.com
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・発行元 : 安土桃山通販
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安土桃山通信 9月 創刊号 2002/09/20
…………………………………………………………………………………VOL.1
ご購読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」です。
「戦国時代が大好き!」と言っても、なかなか周囲に
話が通じる人が少なくないですか?
好きな武将の名前を出しても、お城の名前を出しても
共感してくれる人がいないと会話がはずまないものですよね。。
「いろは」は行った事のあるお城がテレビにでたりすると
大騒ぎしたくなります。
そんな共感したい感動と、奥深い戦国時代の出来事を
少しずつ、戦国ファン初心者の方にもわかりやすく
メールマガジンでお伝えしてゆきたいと考えております。
どうぞよろしくお願いします。
■■
■■ 目次……………………………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 「伊達政宗と真田幸村が同級生!」
【2】今月の誕生日武将 「9月」
【3】今月の家紋 「笹竜胆」
【4】できごと 「序章」
【5】味覚糖の兜コレクション
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見……………………………………………………
「伊達政宗と真田幸村が同級生!」
永禄10年(1567年)伊達政宗と真田幸村が誕生した年です。
二人は同い年だったのですね。都とは離れた場所でそれぞれ
生まれながら1615年の大阪の陣では東軍と西軍に分かれて
戦います。そしてその時大阪城にいた淀殿(秀吉妻妾)も
同じく永禄10年の生まれです。すごい同級生がそろったものです。
永禄10年という年は武田信玄が嫡男の義信を自害させたり、
織田信長が稲葉山城を攻略して「岐阜」と改名した年です。
やっぱり、生まれたのが少し遅い同級生ですね。
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将…………………………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
ちなみに「いろは」は武田信玄と足利義昭と同じ誕生日です。
感動です。(信玄や義昭の誕生日は11月に掲載します)
【9月07日】松平清康・・・信忠の子、家康の祖父。岡崎城主(1511)
【9月23日】島津忠良・・・善久の子、島津伊作家に生まれる。(1492)
【9月24日】朝倉義景・・・一乗谷城主(1533)
【9月18日】曲直瀬道三・・・医者(1507)
他にも9月の誕生日武将を知っている方、メールください。
次号に追加発表します。その時はペンネームも教えてくださいね。
■■
■■ 【3】今月の家紋……………………………………………………………………
「笹竜胆」よみ→ささりんどう
武将の家系を調べたりすると源氏系か平氏系かというところまで
必ずさかのぼることになります。ブランドのように
清和源氏流とか桓武平氏流などたくさんでてきます。
笹竜胆は村上源氏の代表家紋です。
宇多源氏も家紋に使用していたようですが、武家の間では
資料に記載がないので、公家の間のみに使用されていたと
考えられているそうです。
江戸時代になると、これが誤り伝えられて笹竜胆は
清和源氏の子孫と称する者が競って家紋とする傾向が生まれました。
武将では石川数正が家紋として使用しています。
彼は清和源氏です。石川氏の家紋がいつ笹竜胆になったかは
わかりませんでしたが、どちらにしても源氏なのですね。
子孫が領した伊勢・亀山城跡にも笹竜胆の紋瓦を確認できました!!
笹竜胆の家紋の図柄を見たい方は下記URLへ
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】できごと………………………………………………………………………
序章
一般的に戦国時代とは1467年〜1573年です。
応仁の乱の開始から室町15代将軍足利義昭が
信長に追放された年までです。
そして、安土桃山時代とは1573年〜1598年。
織田信長と豊臣秀吉が政権を握っていた時代をいいます。
または、信長入京の1568年〜関ヶ原の戦いで
徳川家康が勝利した1600年までとも言われます。
別名「織豊時代」(しょくほうじだい)。
今NHKで放映されている「利家とまつ」では
とっくに戦国時代と呼ぶ時代は過ぎちゃってるんですね。(2002/9現在)
自分を「戦国ファン」と語るとき、本当は
「戦国・織豊ファン」と言わなきゃいけないのではないかと
最近思うようになりました。
織豊時代は有名なできごとも多く人気が高いですので
この章では、あえて「戦国ファン」と語れるような
1467年〜1573年までのできごとを勉強をかねて
つづりたいと思います。
「戦国ファン」と語りながら、実は「織豊ファン」だった
方々!「いろは」と一緒にこっそり勉強しましょう!
■■
■■ 【5】味覚糖の兜コレクション……………………………………………
先週発見しました!あのお菓子の「味覚糖」から
兜コレクションが発売されています。
商品名「激戦」1個298円。味覚糖だから
飴が5個入っています。いえ、飴が商品で
高さ8cm前後のミニ兜プラモデルは「おまけ」
という設定なのでしょうか?
12種類あるのですが、開けるまでどのタイプが
入っているかわかりません。「いろは」も2個買いました。
断言はされていませんが黒田長政と藤堂高虎の兜のイメージのものでした。
久しぶりにムキになって作りました。
「いろは」は関東在住でコンビニの「サンクス」で購入しました。
友人は「ローソン」でも見たそうです。
販売ルート等不明確なので売っていない地域があったらごめんなさい。
では、また来月も読んで下さいね。
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| 2002/9月 |
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| 笹竜胆 |
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安土桃山通信 10月号 2002/10/07
………………………………………………………………VOL.2
ご購読ありがとうございます。
今回からご購読の皆様、はじめまして。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
皆さん台風は大丈夫でしたか?
「いろは」は夜9:30頃から4時間停電を経験しました。
初めて赤い和ろうそくを使いました。(火は赤くないですよ)
もともとインテリア用に燭台とあわせて買ってあったのですが
役にたつとは思いませんでした。
なかなかよいものです。台風のものすごい風が
すきま風として入ってきてろうそくの火がユラユラゆれます。
でも3時間ぐらいしかもたないのですね。仕方がないので寝ました。
「和ろうそく」と言えば「会津絵ろうそく」が有名です。
蒲生氏郷が会津に移封になったとき近江日野から塗師を
引きつれ積極的な奨励策をとった結果、会津の特産品となり
今でも受け継がれています。
次の停電時は会津絵ろうそくで過ごしたいものです。
今回は京都の和ろうそくでした。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】できごと 「応仁の乱」
【2】今月の誕生日武将 「10月」
【3】今月の家紋 「織田木瓜」
【4】またまた戦国コレクション発見!
【5】みんなの戦国コレクション募集!
■■
■■ 【1】できごと 「応仁の乱」…………………………………
戦国時代のはじまり・・・それは応仁の乱です。
安土桃山通信は戦国時代から安土桃山時代を範囲として情報を
お送りするものですが、合戦で言えば、応仁の乱から関ヶ原の戦いまで、
といったところです。
さて、この二つの戦いは非常に対照的です。
応仁の乱が約10年間も続いたのに対して、関ヶ原はたった1日。
(多少前哨戦はありましたが・・)
勝負も応仁の乱が何かあいまいに終わっているのに対し、関ヶ原は
明確です。
: 応仁の乱 : 関ヶ原の戦い
---------------------------------------------------------------
: 1467(応仁元)〜1477(文明9) : 1600(慶長5)
東軍: 細川勝元(ほそかわかつもと)病死 : 徳川家康 勝ち
西軍: 山名宗全(やまなそうぜん) 病死 : 石田三成 負け
では簡単にこの戦国のはじまりをさらってみたいと思います。
●権威の衰えた足利将軍家の継嗣争い、
●管領畠山家と管領斯波家の継嗣争い、が解決を見ないまま
●守護大名の代表的存在の細川と山名の勢力争いがからんではじまる。
★東西両軍とも敵の後方をかく乱する戦術をとったので、京都を中心に
同心円の形で戦争が地方に広がっていった。
★守護大名が一進一退の戦いに忙殺されている間に彼らの領国では
守護代以下の被官武士層が主人の所領と支配権を奪取(下剋上)
★文明5年、細川勝元と山名宗全が死ぬと和平の動きが高まり
足利義尚が9代将軍になることで和平への動きが急速化。
★しかし、散発的な戦いは続き守護大名のほとんどが両国に
引き上げたのは文明9年のことでした。←引き上げをもって終了
資料を探してもどちらが勝ちとは書いていないんですよね。
クイズや試験問題に「応仁の乱の勝者はどっち?」なんて問題が
ありそうなものですが・・・
10年間の応仁の乱で、京都の町の大半は焼失し、多くの貴族が
縁故を頼って地方に移住したため、中央の文化が地方に移されて
花開くという皮肉な副産物的現象も見られました。
次号につづく。
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
10月の誕生日武将っていやぁぁ、難しいです。
すいません。一人だけ・・・
【10月18日】毛利秀就(ヒデナリ)・・・(1595) 毛利輝元の子
公家
【10月13日】烏丸光康・・・(1513)冬光の子、権大納言
【10月13日】烏丸光広・・・(1579)光宣の子、権大納言
何故かこの二人は同じ誕生日。
【10月20日】飛鳥井雅庸(アスカイマサツネ)・・・(1569)権大納言
「だれ?飛鳥井って?」という声が聞こえてきそうです。
飛鳥井雅庸は40歳の時(1608)江戸幕府から蹴鞠(けまり)の技を独占して伝授
するべき朱印状をもらった蹴鞠家です。蹴鞠(けまり)には
飛鳥井流、難波流、御子左(みこひだり)流があるそうですが江戸時代には
衰えて独占に到っています。戦国時代も蹴鞠をしてた人ですね。
11月は結構いますからお楽しみに。
(ちょっと予告:武田信玄が登場します!)
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「織田木瓜」よみ→おだもっこう
お察しのとおり、織田信長の家紋です。
外郭が五つあり中に唐花が入っています。
木瓜紋は古く御簾の周囲にめぐらした布「帽額(もこう)」につけられた文様
が独立したもので、一般に木瓜(ぼけ)や胡瓜の切り口を方だったとされるのは
誤りだそうです。この紋様は中国の唐代には官服の紋様にされていました。
横に扁平な形(横木瓜)が基本ですが、外郭の数が増す(5〜8)につれ円形に
近づきます。
保元の乱(1156年 うっ古い・・・)当時の内大臣、大徳寺実能が車文と
していたことが大要抄」に記されていることから大徳寺氏の家門とされたのが
最初といわれています。
上記の「大徳寺実能」「大徳寺氏」は「徳大寺実能」「徳大寺氏」の誤りでした。
謹んで訂正しお詫び申し上げます。2004/11/01
織田木瓜の家紋の図柄を見たい方は下記URLへ
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】またまた戦国コレクション発見…………………………
創刊号で味覚糖の「兜コレクション」のお話をしましたら
読者のマーキュリーさんが「株式会社リーメント」の「戦国武将フィギュア」の
情報を教えてくれました。いろははお店ではみつけられないのですが
皆さんはもうもってるのかな?見つけたら買うぞ〜。
ホームページをみましたが、かわいいですよ!
Yahooオークションにも「リーメント」の戦国フィギュアが売りに出されてました。
興味のある方は下記URLで見てみてください。
株式会社リーメント http://www.re-ment.co.jp/
味覚糖ホームページ http://www.uha-mikakuto.co.jp/
■■
■■ 【5】みんなの戦国コレクション募集…………………………
戦国コレクションに触発されて、
突然ですが、みなさんの宝物はなんですか?
「いろは」はホームページでも書いているのですが、
安土で買った「天下布武」(信長の印)のはんこの置物とか、
関ヶ原400年祭で武将役の人から手渡しでもらった千社札です。
こんな感じで、皆さんの戦国お宝グッズをメールで教えてくださ〜い。
「みんなの戦国コレクション特別号」を配信しようと思います。
メールに「ペンネーム」と「お宝グッズ」を書いて
下記メールアドレスに送ってくださ〜い。
そのお宝グッズが手に入る場所や、思い入れなどエピソードも
大歓迎です!!(ゲーム「信長の野望CD-ROM」なんてお宝でもOKですよ!)
ここに送ってね→ iroha@aduchimomoyama.com
一応、締め切りは「2002年10月15日」にしようと思います。
「みんなの戦国コレンクション特別号」は10月下旬発行予定です。
お楽しみに〜。みんなで盛り上がりましょう!!
では、次ぎは特別号でお会いしましょう。(応募がなかったら11月号でね)
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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
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・ホームページ: http://www.aduchimomoyama.com
・発行元 : 安土桃山通販
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| 2002/10月 |
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| 織田木瓜 |
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安土桃山通信 石垣山城増刊号 2002/10/20
………………………………………………………………VOL.増刊号
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
前回まで最初の文章に「購読」という漢字を使用して
しまいました。正しくは「講読」ですね。
どうもすいませんでした。
無料ですので今後も安心して読んでください。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】石垣山城観光ガイド
■■
■■ 【1】石垣山城について…………………………………
NHK大河ドラマ「利家とまつ」をご覧になっている方も
多いと思います。本日のお題は「小田原攻」。石垣山城が
でてきましたね。(ご覧になっていない方ごめんなさい。)
見た直後の感動がさめない今、勢いあまって増刊号を発行します。
実は先日「いろは」は石垣山城に行ってきたのです!!
石垣山城の石垣山は標高241.3メートル。でも本丸は257メートル。
ハイキングコースにもなっています。
電車ではJR東海道本線・早川駅(小田原駅から1つ目)又は
箱根登山鉄道・入生田(いりうだ)駅(小田原駅から2つ目)から
スタートできます。入生田駅近辺には「稲葉一鉄の墓」や
「太閤橋」があります。
車では小田原厚木有料道路の小田原西インターが一番近いです。
早川駅から石垣山城へ登ってゆく途中途中には伊達政宗・宇喜多秀家・
徳川家康・豊臣秀次・千利休(今日はかわいそうでしたね。)・
淀殿・豊臣秀吉の看板が立っていて、楽しみながら登れます。
このあたりはまだアスファルトなので車も可。
みかん畑も一杯です。
そして「国指定史跡・石垣山一夜城歴史公園」という大きな石碑が
見えたら、ハイキングコースからはずれて城内散策です。
ここからはもういきなり城内ってかんじですよ。といっても、
遺構は石垣、天守台跡の土塁などで、テレビで放映されたような
天守閣や隅櫓(すみやぐら)等は全く残っていません。ですが、きちんと
二の丸や本丸などの看板はありますので当時の様子を偲ぶことは
できます。展望台からはもちろん小田原城も肉眼で見えます。海も。
その展望台には各武将の配置図もあるので、
誰がどこにいたのか景色とだぶらせて楽しめます。
お勧めは井戸曲輪跡(いどくるわあと)!!少し山を降りることになりますが
ここは必ず一番下の井戸のところまで降りましょう。
上から見ただけでは石垣の迫力が感じられませんので・・・
小田原城にお越しの際は是非、石垣山城へもどうぞ。
(小田原城〜石垣山城は直線で3kmです。早川駅からは2.5km)
ホームページに3枚ほど石垣山城の写真を載せてあります。
商用ページですが、見るのはタダですから写真だけでも
見てやってくださいね。
http://www.aduchimomoyama.com/travel.htm
………………………………………………………………………………………………
< 大河ドラマをご覧になっていない方の為にちょっと石垣山城の説明 >
石垣山はもと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、豊臣秀吉が小田原北条氏の
本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲した時その本営として総石垣の
城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。この城を秀吉が一夜にして
築いたように見せかけたという伝承から石垣山一夜城と言われています。
この城は関東で最初に作られた石垣の城です。石積みは秀吉が連れてきた近江の
穴太衆(あのうしゅう)による野面積(のづらづみ)といわれるもので
度重なる大地震に耐え、今日まで当時の面影を大変よく残している
貴重な城跡です。
………………………………………………………………………………………………
前回号で募集した「みんなの戦国コレクション」は残念ながら
応募がありませんでした。一人で盛り上がっててすいません。
では、11月号でまた。
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安土桃山通信 11月号 2002/11/01
………………………………………………………………VOL.3
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
もうすぐ、NHK大河ドラマ「利家とまつ」が終わっちゃうかと思うと
すごくさびしいですねぇ。来年の大河ドラマは「宮本武蔵」。
再来年は「新撰組」の話らしいです。う〜ん。宮本武蔵は
関ヶ原の合戦にも出てたので最初の方は楽しみですね。
今、徳島の辺りで戦国武将の三好氏をテーマにした
大河ドラマを実現させようという運動があるそうです。
何か協力できることがあったら参加したいと思います。
情報が入り次第このメールでもお知らせします。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 特別展「変わり兜−戦国の奇想天外」
神奈川県立歴史博物館
【2】今月の誕生日武将 「11月」
【3】今月の家紋 「五三桐」
【4】できごと 「下剋上・三大事件」
【5】またまた戦国コレクション発見
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
特別展「変わり兜−戦国の奇想天外」
神奈川県立歴史博物館(神奈川県横浜市)で特別展が開催中です。
戦国時代後期、それまで使用されていた兜とは、大きく姿が異なり
兜の前、後、脇、天辺などに様々な信仰具、昆虫、植物などの様々な
飾りをつけることが流行しました。これらを変わり兜といいます。
この特別展では、鎌倉時代以降の各時代の甲冑類に加え、
絵画、文書、版本などの関連資料を併せて展示し、変わり兜の誕生から、
江戸時代におけるその多様な展開までを紹介するものだそうです。
会期 開催中〜11月17日(日)まで
神奈川県立歴史博物館の特別展ページです。↓
変わり兜の画像も6枚載っていましたよ。↓
http://ch.kanagawa-museum.jp/tokubetu/tokubetu.html
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
ご自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
ちなみに「いろは」は武田信玄と足利義昭と同じ誕生日です。
感動です。
【11月01日】近衛信尹・・・(のぶただ)前久の子。関白(1565)
【11月03日】武田信玄・・・信虎の子。甲斐・信濃領主(1521)
【11月03日】足利義昭・・・室町15代将軍。義晴の子(1537)
【11月13日】細川忠興・・・小倉藩主。藤孝の子(1563)
【11月15日】大内義隆・・・義興の子。周防等6カ国守護(1507)
【11月20日】本願寺証如・・・本願寺10世。円如の子(1516)
【11月20日】尼子経久・・・清定の嫡男。出雲守護(1458)
【11月21日】江月宗玩・・・津田宗及の子。(1574)
(こうげつそうがん)
【11月22日】福島正則・・・豊臣秀吉のいとこ。広島城主(1561)
【11月23日】足利義尚・・・室町9代将軍(1465)
【11月28日】徳川義直・・・家康の九男。尾張藩主(1600)
島津家久(義弘の子)も1576年の11月生まれだそうですが、
日付は不明です。来月は徳川家康登場です。お楽しみに。
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「五三桐」よみ→「ごさんのきり」豊臣秀吉 他
桐は鳳凰がとまる嘉木(美しい木・佳樹)といわれ、平安・鎌倉時代には
桐・竹・鳳凰1組の紋様が天皇のみに用いられ、後に桐だけが取り出され
公的な天皇の象徴となりました。古くは「蒙古襲来絵詞」の大矢野氏
(天草)の旗にも桐が確認できます。
桐紋を下賜された人物では足利尊氏、豊臣秀吉が特に有名です。
三好義興・松永久秀・上杉謙信らは将軍足利義輝から戦功の賞として
与えられ、織田信長・細川藤孝は足利義昭から与えられました。
秀吉が桐紋を賜ってから、桐は菊についで名誉ある紋となり
諸大名の間で大流行しました。のちに禁令まで出されましたが江戸幕末には
大名、旗本のうち、桐紋を使用する家は全体の5分の1にも及んだそうです。
秀吉が築造した姫路・大阪・伏見・名護屋の各城の瓦等にも
桐紋が使用されています。
五三桐の五三とは紋の花の数で分類されています。
中央に5つの花、左右それぞれに3つの花がついているのが五三桐です。
中央に7つの花、左右それぞれに5つの花がついているものは五七桐です。
珍しいものには「五四の桐」「九七の桐」「七五三の桐」もあるそうです。
桐は種類が非常に多く、花の数以外でも外形で区別し
「太閤桐」「上杉桐」「佐竹桐」「利休桐」など名前もさまざまです。
各桐家紋の図柄は下記URLに用意しました。
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………
「下剋上・三大事件」
前月号では戦国時代の始まり応仁の乱を取り上げました。
(復習:応仁の乱 細川勝元(東軍)×山名宗全(持豊・西軍
1473年に両名があいついで病没するとともに終息に向かう)
今月は下剋上にスポットをあて応仁の乱の余波でおさまりがつかなく
なってゆく時代の変化の時に起こった三大事件を取り上げます。
1、山城国一揆(1485年)
2、加賀一向一揆(1488年)
3、北条早雲伊豆制圧(1493年)
1、山城国一揆
畠山政長と畠山義就の対立に起因し、国人や村落住民が両軍を
撤退させ、1493年に至るまで守護の支配を排除して国一揆による
自治的支配が実現しました。国一揆のメンバーに細川政元の被官
が多く、細川氏が後援していたことがうかがえます。まさに
応仁の乱の余波。
2、加賀一向一揆
将軍足利義尚の命で近江佐々木・六角高頼攻めが行われた時、
その軍役賦課に反対する加賀一国の土豪・農民の動向を、
一向宗(浄土真宗本願寺派)門徒の寺院や土豪が組織化して
守護富樫政親を高尾(たこう)城に包囲して自刃させて事件です。
応仁の乱の余波として、富樫家内部の分裂があったにせよ
一向宗門徒が「百姓ノ持タル国」への道をひらきました。
3、北条早雲伊豆制圧
山内・扇谷(おうぎがやつ)両上杉氏の抗争で、山内上杉顕定と
結ぶ足利茶々丸(政知の子)に対し、扇谷上杉定正は、相模国大森城
で今川氏の食客となっていた北条早雲と結んだ。早雲は足利家の
内紛につけこみ伊豆に侵攻して茶々丸を追放しました。
(以降、伊豆を拠点に関東制覇をめざしてゆきます。)
こうして室町幕府守護体制はボロボロになってゆきます。
■■
■■ 【5】またまた戦国コレクション発見…………………………
「フルタ製菓株式会社」から発売の「歴史浪漫第1弾長篠の戦い」。
皆さんはこのフィギア付きお菓子、もうお買いになりましたか?
(東日本では12月2日が発売予定日です。)
いくつか揃えると「長篠の戦い」のジオラマが完成するもので
実際、愛知県鳳来町の長篠城址史跡保存館に常設展示されているという
おもちゃの域を越えたフィギアです。人形造形も数々の博物館のジオラマ
を手がけた製作者だそうで、大人の趣味としても大満足できそうです。
これが一つ200円というのですから、12月2日が待ち遠しい・・・
(既にYahooオークションでも取引されていました。)
ちなみに第2弾は「宮本武蔵」の企画があるそうです。
第2弾発売までに第1弾をがんばってそろえなくちゃ。
フルタ製菓ホームページ
http://www.furuta.co.jp/
………………………………………………………………………
追伸:豊臣秀長の妻子の名前や姻戚関係等を調べています。
色々調べているのですが、なかなかわかりません。
皆さんの中でもし知っている方がいらっしゃいましたら
いろはに教えてください。 iroha@aduchimomoyama.com
よろしくお願いいたします。
今月も最後までお読みくださりありがとうございます。
ではまた12月に。皆さん風邪にはお気をつけ下さい。
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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
・メールアドレス: iroha@aduchimomoyama.com
・ホームページ: http://www.aduchimomoyama.com
・発行元 : 安土桃山通販
●全ての文章は、転載を禁じます。
このメールマガジンは『まぐまぐ』http://www.mag2.com/
を利用して発行しています。解除は
http://www.mag2.com/m/0000097076.htm からできます。
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2002/11月 「桐」
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| 五三桐 |
五七桐 |
太閤桐 |
上杉桐 |
佐竹桐 |
利休桐 |
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安土桃山通信 12月号 2002/11/30
………………………………………………………………VOL.4
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
去る11月10日(日)、千葉城郭研究会が開催しましたセミナー
「城郭が語る房総の歴史〜戦国武将の夢のあと〜」を
聴いて来ました。感動と発見の有意義な一日でした。
どこの土地にも同じだけの時間(歴史)が流れていることを
改めて実感。各都道府県の戦国史までを追っかけていくと
やはり一生では足りないようです。(欲張りすぎ・笑)
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【0】メルマガ読者様だけにお店からのお知らせ
【1】今月のちいさな発見 「丸と郭」
【2】今月の誕生日武将 「12月」
【3】今月の家紋 「真田銭」
【4】伏見桃山城閉鎖
■■
■■ 【0】メルマガ読者様だけにお店からの大切なお知らせ……
大切なお知らせなので一番先に書かせていただきます。
安土桃山通販では11月末をもって
「1万円以上お買い上げの方の送料無料サービス」を
終了させていただきました。が、
メルマガ読者様だけにこのサービスを12月末(2002年)まで延長いたします。
(ただし、合戦図屏風と室生寺製品は対象外です。すいません。)
ご注文が1万円以上の場合は注文フォームのコメント欄に必ず
「メルマガ読者」と一言書いてくださいね。
ちょっと個性的なクリスマスプレゼントやお正月の帰省土産として
どうぞご利用ください。
これからも、どんどん武将のぼりの種類を増やしたり
楽しいサイトを目指してゆきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
いろは
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「丸と郭」
よくお城や城跡を訪ねると「二の丸」とか「三の丸」とか
言いますよね。これって江戸時代以降の表現だそうです。
(セミナーで知ったんですけど・・・)戦国時代には
二郭や三郭と言い発音は「にのくるわ」又は「にかく」、
「さんのくるわ」又は「さんかく」と江戸時代のお城とは呼び分ける
そうです。郭(くるわ)は曲輪(くるわ)ともよく書かれています。
戦国ファンを気取りたい場合はこちらの表現を使うほうが
気分も盛り上がりますね。
ただ、豊臣秀吉の側室には「三の丸殿」という呼び方をされている
女性もいますので、安土桃山時代には使われ初めていたことになります。
ちょうど切り替え時期だったのですねぇ。
織豊ファンはどちらを使ってもOK。
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
【12月01日】沢庵宗彭(たくあんそうほう)臨在僧(1573)
【12月03日】黒田長政・・・孝高の子、福岡藩主(1568)
【12月07日】勧修寺光豊・・・晴豊の子(1575)
【12月15日】御陽成天皇・・・誠仁親王第1皇子(1571)
【12月15日】足利義澄・・・足利11代将軍(1480)
【12月18日】覚怒(かくじょ)・後奈良天皇第2皇子(1521)
【12月23日】後奈良天皇・・後柏原天皇の第2皇子(1496)
【12月26日】徳川家康・・・江戸幕府初代将軍(1542)
【12月29日】池田輝政・信輝(恒興)の子、姫路藩主(1564)
【12月30日】蜂須賀家政・・・正勝の子、徳島城主(1558)
来月は上杉謙信や毛利輝元が登場します。
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「真田銭」よみ→さなだせん
六道銭(ろくどうせん)ともいい、真田氏、滋野氏、海野氏の代表家紋
となっています。銭が縦2列横3列で合計6個の銭が描かれている紋です。
銭の紋は縁起の良さと形の単純さより用いられました。
特に六道銭は決死の覚悟を示したものと言われています。
何故ならば、死人を葬る時、棺に六文の銭を入れる・・・俗に三途の川の
渡し賃だといわれることから、これがあれば、死を恐れずに戦えるという
ことだったのでしょう。
では、何故六文なの?と疑問に思い調べてみました。
仏教用語からきている様で、広辞苑には
「六道」・・・衆生が善悪の業(ごう)によっておもむき住む6つの迷界。
すなわち、地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天。
六観音・六地蔵・六道銭・六道の辻はこれに由来する。
とありました。なるほどぉ。各迷界ごとに1文で合計6文だったのですね。
あの丸(銭)1つ1つに意味があったのですねぇ。
真田銭の家紋の図柄を見たい方は下記URLへ
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】伏見桃山城閉鎖……………………………………………
お城ファンには悲報です。不況が続く中、伏見城のある
「伏見桃山キャッスルランド」の閉園が決定しました。
関西などでは「伏見城落城」という見出しでニュースになった
そうです。笑えない・・・とても残念です。(平成15年1月31日まで。)
詳しくは
伏見桃山キャッスルランドのホームページ
http://www.momoyamajo.com
建物も(お城も)今のところ解体予定だそうです。
京都府や市が買い取って歴史公園として残してもらえないもの
でしょうかね。(安土桃山通販が大企業だったら買い取るのに・・・笑)
お城の中の展示物は、黄金の茶室の再現や
桃山時代の屏風から当時の様子を探る内容になっています。
屏風好きの私にはとても面白かった。(合戦図屏風はなし)
また、豊国神社(秀吉を祭っている)の分霊(出張所?)もされている
ところがあり、いったいあの神社はどうなってしまうのでしょう。
展望もすばらしく京都市内を一望でき大阪方面の淀城のあたりまで
見えます。北側は遊園地になっているのでちょっと異質ですが・・・
伏見城画像はこちらへどうぞ。
http://www.aduchimomoyama.com/travel.htm
伏見城・・・大阪とは淀川の水運で結ばれ交通の要衝であった
ことから豊臣秀吉の隠居所として築かれました。
(現在「利家とまつ」の舞台も伏見城ですね)関ヶ原の合戦当時
には徳川方の数少ない拠点となりました。(島津隊が味方しようと
やって来たのに追い返されてしまったことは有名です。)
近鉄京都線「桃山御陵前駅」からバス「伏見桃山城行き」終点下車。
バスは休日しか運行していませんので注意です!
近鉄・京阪「丹波橋駅」からは徒歩15分くらいで歩いて行けます。
(駅に地図がありました。でもずっと上り坂。)
余談ですが、伏見区の地名はとても興味深いです。
福島太夫南町、毛利長門東町、松平武蔵、本多上野、西伊達町、
毛利町、島津町、竹中町、筒井伊賀、最上町、大谷町、治部小丸
加賀屋敷町、片桐町などなど武将の名前がたくさん残っています。
好きな武将の屋敷跡地に住めたらいいですよね。
更に余談ですが、以前名護屋城付近(九州)の伊達政宗陣跡地に
「売地」の看板が立っていたそうです。(現在は不明)
不動産情報になってしまいましたが、そういったところに
安土桃山通販の店舗を出すことが遠い将来の「いろは」の夢です。
《 あとがき 》
長くなってしまいましたので、クリスマスキャンペーンの
ご案内を分割してこのあと送信いたします。
是非、こちらもお読みください。
★武将のぼり旗人気ランキング★もそちらで発表しています。
今月は「できごと」はお休みさせていただきました。
それでは来月もどうぞよろしくお願いします。
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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
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・発行元 : 安土桃山通販
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| 2002/12月 |
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| 真田銭 |
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安土桃山通信 キャンペーン号 2002/11/30
………………………………………………………………VOL.5--
■■ メルマガ読者様だけにクリスマスキャンペーン ■■
■■ ………のぼり旗単品(1本のみ)販売…………… ■■
目次(1)キャンペーン期間
(2)代金・お支払いについて
(3)申し込み方法
(4)★人気のぼり旗ランキング★
こんにちわ。安土桃山通販看板娘「いろは」です。
月刊「安土桃山通信」とは別に今回はじめてキャンペーンの
ご案内をさせていただきます。ホームページの通信欄にお客様
より「戦国武将ミニのぼり旗」の最低注文数が3本であることに対し
「3本(種類)もいらない・・・」「まとめて買えない」等のご意見を
いただいておりました。そこでメルマガ読者様だけに期間限定で
単品(1本)注文を受け付けさせていただくことといたしました。
1本だけ欲しかったとお思いだった皆様には
是非この機会にお申し込みください。
メルマガ読者様限定ですので、ホームページでは記載しておりません。
……………………………………………………………………………………
◆(1)キャンペーン期間
2002年11月30日(土)から
2002年12月24日(火)PM11:59メール受付分まで
◆(2)代金・お支払いについて
★¥1,500★ (消費税・送料切手代・振込手数料すべて込み)
(商品番号F34およびF36は★¥1,300★にします。)
お支払いは後払い。郵便局支払いのみです。
(振込み手数料がかかってもよいという方には
銀行口座をご案内いたします。)
商品と一緒に振込手数料無料の振込用紙をお送りします。
商品は普通郵便で発送いたします。(宅急便ではありません。)
◆(3)申し込み方法
下記メールアドレスに下記必要事項をお書きの上送信してください。
iroha@aduchimomoyama.com
------ここからコピーしてメールに貼り付けると便利です。------------
件名「のぼり旗単品注文」
内容「お名前」
「郵便番号」
「ご住所」
「電話番号」
「商品番号」
------------------------------------------------------ここまで----
※「商品番号」は http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori.htm
でご確認お願いします。(記載例「F1 徳川家康」)
※銀行振込を希望される方は「銀行振込希望」とお書きください。
(みずほ銀行の口座をご案内します。手数料はお客様負担となります)
※コメント等があればメール内にご自由にお書きください。
※受付後、念のため確認のメールをこちらより返信いたします。
◆(4)人気のぼり旗ランキング
(お買い上げいただいた皆様ありがとうございます。)
《 オープンより2002年11月25日までの販売ベスト10》
1位 島左近・・・・・・・・・一番こったデザインでカッコイイ
2位 石田三成・・・・・・・・ここでは家康に勝ててよかったね
2位 大谷吉継・・・・・・・・人徳で堂々2位入賞
4位 織田信長(家紋・白地)・・黄地も後発ながら人気
5位 豊臣秀吉・・・・・・・・太閤殿下だから当然といえば当然
6位 織田信長(永楽文銭)・・やっぱり信長ファンにはコレ
6位 前田利家・・・・・・・・大河ドラマのお陰かな
8位 徳川家康(家紋)・・・・三つ葉葵ファン、厭離穢土も人気
9位 宇喜多秀家・・・・・・・青色がとってもさわやか。
10位 長宗我部盛親・・・・・・西日本では想像以上に人気?
10位 毛利元就・・・・・・・・朱色の輝元もよろしく
※関ヶ原西軍の人気が高くなりました。
※武田信玄が入っていませんが、赤地の武田菱と風林火山の旗の
発売が遅かったためか現在追い上げ中です。
--------------------------------------------------------------
お申し込みお待ちしております。
お問い合わせもお気軽にお寄せください。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
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クリスマス編 バックナンバー目次に戻る |
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安土桃山通信 クリスマス編 2002/12/20
………………………………………………………………VOL.6
ご講読ありがとうございます。
もうすぐクリスマス!!キリシタン大名達がクリスマス会を
ひらいた・・・などという資料は未だ見たことはありませんが
戦国時代のキリスト教関連情報を特集しました。
安土桃山通信風のクリスマス気分をお楽しみください。
看板娘「いろは」がお届けします。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】戦国時代にキリスト教伝来「ザビエル」
【2】キリシタン大名
【3】宣教師たち
【4】セミナリオって何
【5】NHKその時歴史が動いた「ベストセレクション」
【あとがき】
■■
■■ 【1】戦国時代にキリスト教伝来…………………………
「フランシスコ・ザビエル」
ザビエルは教科書にも出てくる日本にキリスト教をはじめて
布教した人です。アジア布教に精力的でインドなどで布教活動中、
訪ねてきた日本人弥次郎と出会い、日本への渡航を決意しました。
1549年8月15日、ザビエルは鹿児島に入港しました。
(鉄砲伝来より約6年遅い)
偶然、日本に来たわけではないのですねぇ。
鹿児島入港の理由もこの「弥次郎」さんの故郷だったからです。
9月29日には島津貴久から鹿児島布教を許可されました。
その後、平戸・山口・堺を経由し1551年1月入京。
しかし、天皇との謁見はかなわず、大内義隆の許可を得て
4月に山口で布教、9月には大友宗麟に招かれて豊後で布教。
しかし、ザビエルはインド管区長に任命されていたこともあり
11月には中国に渡ってしまいます。(翌年中国で没)
ザビエル以降、日本布教はイエズス会が担当しました。
■■
■■ 【2】キリシタン大名………………………………………
キリスト教を信仰し、洗礼を受けた大名。カッコ内は洗礼名です。
大友宗麟 (フランシスコ)
大村純忠 (バルトロメウ)
有馬晴信 (プロタジオ)
高山右近 (ジェスト)
蒲生氏郷 (レオン)
織田有楽斎 (ジョアン)
黒田孝高 (シメオン)
黒田長政 (ダミアン)
小西行長 (アウグスチノ)
などなどが有名です。
■■
■■ 【3】宣教師たち…………………………………………………
時代小説などを読むと必ずといってもいいほど登場する彼ら・・・
フロイス、ヴァリニャーノ、オルガンティーノなど少しご紹介
●フロイス ポルトガル人 イエズス会宣教師
長崎横瀬浦に到着。信長に謁見。ヴァリニャーノが信長を
訪れた際には通訳をつとめる。晩年は長崎で執筆に専念。
★いろは独り言「アテブレーデ・オブリガード!」
ピーンときた人は何人いるでしょうか?
●ヴァリニャーノ イタリア人 イエズス会宣教師
長崎口之津に到着。安土城で信長に、聚楽第で秀吉に謁見。
功績は天正使節団のローマ派遣、印刷機械を導入した
キリシタン版の刊行。
●オルガンティーノ イタリア人 イエズス会宣教師
京都を中心にキリスト今日布教。京都に南蛮寺として有名な
「被昇天の聖母の聖堂」や安土にセミナリヨを設立。
のち迫害を受けて小西行長に庇護された。
●ロレンソ 日本人 イエズス会修道士
半盲の琵琶法師として過ごしている際、ザビエルにであい受洗。
宣教師たちに日本語を教えたり、身の回りの世話をした。
ガズパール・ヴィレラとともに足利義輝に謁見。
フロイスやオルガンティーノを助けて南蛮寺の設立にも貢献。
迫害の為一時九州に非難したが、聚楽第で秀吉とも謁見。
●カブラル ポルトガル人 イエズス会宣教師
天草志岐に到着。足利義昭に謁見後、岐阜の信長にも謁見。
大友宗麟に洗礼をさずけた。しかしヴァリニャーノと
対立して日本を去った。
●コエリョ ポルトガル人 イエズス会宣教師
イエズス会初代日本準管区長。長崎地方を中心に布教。
毛利輝元や小早川隆景らの知遇を受ける。
フロイスに「日本史」編纂を命じた。
最初に【1】で登場したザビエルはスペイン人です。
■■
■■ 【4】セミナリオって何…………………………………………
イエズス会は日本人司祭を養成するためと、宣教師に日本に
ついて学ばせる為に教育機関を設置する事にしました。
「セミナリオ」(神学校)
「ノビシャド」(修練院)
「コレジオ」 (学院)
この3校は、小・中学校、高校、大学と置き換えてもよいようです。
小・中学校にあたるものが、セミナリオです。
ヴァリニャーノの「言語を学ばせるセミナリオ」(肥前有馬)は
上流家庭の子弟22名が入学し、全寮制。学科はローマ字・日本文字
の読み書きから日本文学、ラテン語文法、文学、また音楽としては
歌唱からオルガン、フルートの楽器演奏もあったとか。
安土のセミナリオは、信長から「安土に相応しい壮麗広大なものに
せよ」と希望され、日本風の3階建ての建物が出来ました。
各地のセミナリオは江戸時代に入ってからの禁教令により、いずれも
消滅しているそうです。
■■
■■ 【5】NHKその時歴史が動いた「ベストセレクション」…
NHK総合で毎週水曜日PM9:15〜10:00まで
「その時 歴史が動いた」という歴史番組が放送されています。
来週の水曜日25日から3夜連続で
「ベストセレクション」と銘打って戦国時代特集が放送されますので
ご興味のある方は是非ご覧ください。
25日PM9:15〜「本能寺の変〜信長暗殺!闇に消えた真犯人」
26日PM9:15〜「羽柴秀吉 謎の敵前退却〜賤ヶ岳の合戦・勝利の秘策」
27日PM9:15〜「前田利家の妻・まつの決断〜加賀百万石 息子への教え」
楽しみですねぇ。(クリスマスよりも・・・)
■■
■■ 【あとがき】
ひょっとするとセミナリオあたりでは当時クリスマス会も開催された
かも知れないですね。
さて、前回ご案内した
クリスマスキャンペーン《 のぼり旗単品(1本のみ)販売 》
は24日の受付分をもって終了させていただきます。
どうもありがとうございました。
「おっと忘れてた・・・」という方は以下もご覧下さい。
いつも、最後までお読みくださりありがとうございます。
それでは、皆様よいお年をお迎えください。
来年も安土桃山通信と安土桃山通販をよろしくお願いいたします。
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■■ メルマガ読者様だけにクリスマスキャンペーン ■■
■■ ………のぼり旗単品(1本のみ)販売…………… ■■
ホームページの通信欄にお客様より「戦国武将ミニのぼり旗」の
最低注文数が3本であることに対し「3本(種類)もいらない・・・」
「まとめて買えない」等のご意見をいただいておりました。
そこでメルマガ読者様だけに期間限定で
単品(1本)注文を受け付けさせていただくことといたしました。
1本だけ欲しかったとお思いだった皆様には
是非この機会にお申し込みください。
メルマガ読者様限定ですので、ホームページでは記載しておりません。
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◆(1)キャンペーン期間
2002年12月24日(火)PM11:59メール受付分まで
◆(2)代金・お支払いについて
★¥1,500★ (消費税・送料切手代・振込手数料すべて込み)
(商品番号F34およびF36は★¥1,300★にします。)
お支払いは後払い。郵便局支払いのみです。
(振込み手数料がかかってもよいという方には
銀行口座をご案内いたします。)
商品と一緒に振込手数料無料の振込用紙をお送りします。
商品は普通郵便で発送いたします。(宅急便ではありません。)
◆(3)申し込み方法
下記メールアドレスに下記必要事項をお書きの上送信してください。
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安土桃山通信 1月号 2003/01/02
………………………………………………………………VOL.7
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年も安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 「雨月物語に関白・秀次が登場する」
【2】今月の誕生日武将 「1月」
【3】今月の家紋 「葵」
【4】できごと 「応仁の乱の時、各地では・・・」
【5】お知らせ 「和暦−西暦対応表」
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「雨月物語に関白・秀次が・・・」
「雨月物語」といえば、日本と中国の古典に題材を求めた江戸時代の
怪奇小説です。名前だけは知っている・・・という人も多いのではない
でしょうか。"いろは"は年末の大掃除の時に大昔に買ったコミック版
雨月物語を発見し、懐かしさに掃除も忘れて夢中で読んでいました。
すっ、すると、何と関白・豊臣秀次公の幽霊が登場するではありませんか!
しかも、高野山に出没!!おぉぉぉぉ。しかも何故かカッコイイぃぃぃ。
豊臣秀次・・・豊臣秀吉の養子となり、関白を継いだが、後に秀吉の側室
淀殿が秀頼を産んだため、養子は必要なくなり、高野山に
幽閉され、自刃させられた不運な武将です。
雨月物語は9話で構成されており、秀次が登場するのは「仏法僧」という
お話です。ちなみに、「菊花の約(ちぎり)」というお話には尼子家に月山
富田城を奪われた武将の家臣・赤穴宗右衛門が登場。「貧富論」という
お話には蒲生家の家臣が登場します。原文は読んだことがありませんが、
雨月物語をこんな角度で感動できる自分の変化にも歴史を感じました。
その後の大掃除はハイテンションになったのは言うまでもありません・・・
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
【1月01日】神屋宗湛・・・博多の豪商。茶人(1553)
【1月02日】蜂須賀至鎮・・・家政の子。徳島藩主(1586)
【1月03日】大友宗麟・・・豊後。府内城主(1530)
【1月04日】松平忠輝・・・家康の6男。越後高田藩主(1592)
【1月06日】武田信虎・・・甲斐の国主。信玄の父(1494)
【1月06日】顕如・・・浄土真宗の僧。本願寺11世(1543)
【1月06日】藤堂高虎・・・宇和島城主。津藩祖(1556)
【1月13日】狩野永徳・・・画家。狩野宗家5代。(1543)
【1月19日】大友親治・・・豊後。府内城主(1524)
【1月21日】上杉謙信・・・長尾為景の子。春日山城主。(1530)
【1月22日】毛利輝元・・・隆元の長男。豊臣五大老(1553)
【1月29日】黒田孝高・・・小寺職隆の子。豊前中津城主(1546)
★大友宗麟と上杉謙信は同い年!吉川元春(月日不明)も同じ1530生まれ。
2月は島津義久登場です。お楽しみに。
1月18日がお誕生日の読者様がいらっしゃいました。
せっかく1月号を楽しみしていて下さったのに18日のお誕生日武将を
見つけられませんでした。すいません。
かわりに1月18日の「できごと」を探してみました。
なんと「応仁の乱」のはじまった日でしたよ!(嬉しくないですよね!?)
★応仁元年(1467)1月18日、畠山義就が上御霊社(かみごりょうしゃ)に
畠山政長を破る。応仁の乱はじまる→1477まで
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「葵」よみ→あおい
「葵」といえば、ほとんどの人がテレビ時代劇「水戸黄門」で覚えたのでは
ないでしょうか?三つ葉葵の印籠をだして「この紋所が目にはいらぬか〜。」
あれです。徳川御三家というのがありまして水戸はその一つです。
御三家ではそれぞれ本家とは微妙に違う葵の紋を使用していました。なので
●徳川葵 ●尾州三つ葵 ●紀州三つ葵 ●水戸三つ葵 と
葵の種類はたくさんあります。他にも●越前三つ葵●会津三つ葵などです。
本家(将軍家)とは同じ葵は遠慮されたのですね。ですので、水戸黄門の葵と
徳川家康の葵は厳密に言えば、種類が違うのですね。あのオープニングに
「じゃ〜ん」と出てくる大きな葵を今度ゆっくり観察したいと思います。
各種葵家紋を下記URLに用意しました。
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
さらに厳密にいいますと、本家の徳川家でも家康・秀忠・家光の時代以後
何回か葉脈の数が変化しています。家紋によって何代目将軍の時代だったかが
判明するヒントになるのでしょうか、その辺は専門家にお任せ。
おおまかにいうと家康の時は葉が細かく、15代将軍慶喜のころには簡素化
されていたといった具合に"いろは"は感じます。
葵はアオイ科に属する多年生草本で、それを紋様としたもの。
二重葵は京都加茂神社の神紋で、神事に用いられたことから信仰的意義を
表しているそうです。家康の家臣の本多忠勝が「立葵(たちあおい)」と
いう紋を使用していますが、本多家は家伝によると加茂社の神官であったと
いうことです。信濃善光寺の寺紋も「立葵」ですので、観光で行かれたら
是非、軒瓦の紋を見てみてください。
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………
「応仁の乱の時、各地では・・・」
前回までは
●応仁の乱(1467-1477)
●山城国一揆(1485)
●加賀一向一揆(1488)
●北条早雲伊豆制圧(1493)
と、戦国時代の始まりと下剋上を象徴する出来事を荒削りではありますが
見てきました。今月は同じ時代の1467年〜1473年(応仁の乱両大将死亡年)
までの間に各地ではどんなできごとがあったのか、もう少しみてゆきたい
と思います。
★★「いろは」から★★
戦国ファン初心者だと思われる方は、これ以降は武将名がたくさん出
てくるので読むのがつらいかもしれません。一生懸命読む必要はないです。
さらっと見てくださいね。そのうち「あっこの名前なんか聞いたこと
ある。」「この武将はこんなところで登場するんだぁ」と未来になって
今日読む武将名に再び出会うことがあると思います。
いっぺんには覚えられないですから、目に触れさせておくぐらいの軽い
気持ちでどうぞ。いつか、自分の知っている武将数がたくさんに増えて
いることに気付くと思います。そうなってくるとおもしろい戦国の人間
関系が見え出し、ますます楽しくなると思いますよ。
という「いろは」もまだまだ、虎の巻片手に勉強中ですが・・・
●【 九州も応仁の乱に巻き込まれる 】
中国の大内政弘が応仁の乱の西軍となったため、東軍となった九州の大友親繁
、少弐政資(しょうにまさすけ)は北九州の大内領を攻めた。(1468、1469)
少弐政資は大宰府を回復。こののち東軍は島津立久にも参戦をうながして
ゆきます。
●【 朝倉孝景、東軍に寝返り 】
西軍・斯波義廉(よしかど)の有力武将だった朝倉孝景は東軍の細川勝元の「
越前守護職を与える」という誘いに応じて東軍に寝返り(1471)、当時の
越前守護代・甲斐氏と戦った。
●【 安東氏津軽奪回ならず 】
南部義政に津軽地方を奪われ、蝦夷島(北海道)に逃れていた安藤氏。1470年
安東政季は本拠を檜山(能代市)に移して津軽に討ち入り、藤崎城を攻めたが
成功せず。何度も試みながら戦国大名へ成長。
●【 関東管領・上杉顕定(あきさだ)、古河公方を攻める 】
上杉顕定と長尾景信(家宰)は古河城を攻撃。古河公方・足利成氏は下総に
逃れて千葉孝胤に匿われる(1471)
↓
翌年、足利成氏は小山氏らの援軍を得て古河城を奪回。(1472)
●【 周防守護代・陶弘護が大内教幸を自刃させる 】
西軍の主力大内政弘が上京している間に、政弘の叔父である大内教幸(のりゆき)
が東軍に寝返り、陶弘護(すえひろもり)を誘った。弘護は応じず、逆に反撃を
受けて、仁保盛安(にほもりやす)とともに馬ヶ岳城にて自刃(1471)
●【 甲斐守護・武田信昌が侵攻して来た信濃勢を撃退 】
武田信昌(武田信玄の「ひいおじいさん」)は滅亡寸前だった武田家を再興。
しかし、甲斐では反守護の国人層も多く、領国統一までにはまだ遠い。(1472)
●【 その他 】
・陸奥では白川政朝と相馬隆胤が同盟
・土岐氏、一色氏が東軍へ帰参
・安芸・武田元綱が西軍へ
・京極家でも跡目相続の内紛がはじまる
・1472年9月、桜島大噴火!
↓
・1473年3月山名宗全(西軍総大将)、5月細川勝元(東軍総大将)あいついで
病没。
今月はここまで。各地で大変なことになってきていますよね。
来月は両大将の死後からもう少し各地の出来事を
追っかけたいと思います。(お疲れ様でした〜。)
■■
■■ お知らせ……………………………………………………
「和暦−西暦対応表」をホームページにアップしました。
印刷すれば読書の際など役立つかも? どうぞ、ご利用ください。
http://www.aduchimomoyama.com/iroha_2.htm
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2003/1月
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「葵」 |
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| 徳川葵 |
尾州葵 |
紀州葵 |
水戸葵 |
越前葵 |
会津葵 |
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安土桃山通信 2月号 2003/2/01
………………………………………………………………VOL.8
こんにちわ。いつもご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
先日、知人から墓石に彫る文字の相談を受けました。
今のお墓は「○○家代々の墓」などとは彫らず、板状の墓石に
「やすらぎ」とか「愛」などと彫り、とても洋風な感じですね。
"いろは"は迷わず「厭離穢土 欣求浄土(えんりえどごんぐじょうど)
」がよいでしょうと答えたのですが、却下されました。
すごくイイと思うんですけど・・・
「厭離穢土 欣求浄土」・・・徳川家康の本陣旗に書かれていた文字。
厭離穢土・・・この世をけがれた世界としていとい離れること。
欣求浄土・・・心から喜んで浄土に往生することを願い求めること。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 「吉野ヶ里遺跡も城!?」
【2】今月の誕生日武将 「2月」
【3】今月の家紋 「雁金」
【4】できごと 「続・応仁の乱」
【5】新製品情報 「家紋シールに仲間が増えました(毘、六文銭)」
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「吉野ケ里遺跡も城!?」
1月にお城について少し勉強しました。そこで「お城とは」という講義を
聴いたのですが、お城とは土から成ると書き、堀を表しているそうです。
堀があるところは城であり、現在堀しか残っていないところを「城跡」と
表示するのはおかしいそうです。堀自体が城なのですから「城址」と
書くべきとの事でした。ただ「址」という漢字は当用漢字からはずされて
いますので、あまり強くは言えないと思いますが・・・。
考古学的な話になってしまいますが、弥生時代の堀をめぐらせた集落を
環濠集落(かんごうしゅうらく)といいます。これも広義でいう「城」です。
すごいですねぇ。九州の弥生時代の遺跡「吉野ヶ里遺跡」もお城のひとつに
カウントされるということです。目を時代の新しい方へ向けると
海堡(カイホウ・海上に築造した砲台)もカウントされるそうで
現在では日本にお城は12万あるそうです。いやぁぁこれは安易に
「お城ファンです」と言うのは難しいですねぇ。
小心者の"いろは"は「戦国のお城ファンです。」と言うようにします。
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
【2月5日】朝倉貞景・・・氏景の子、越前一乗谷城主(1473)
【2月6日】豊臣秀吉・・・関白(1537)
【2月9日】島津義久・・・貴久の子、島津氏16代当主(1533)
【2月13日】阿茶局・・・徳川家康の妻妾(1555)
【2月16日】佐竹義重・・・義昭の子。太田城主。秋田藩祖(1547)
【2月19日】井伊直政・・・佐和山城主。徳川四天王(1561)
3月は足利義晴・義輝が登場します。
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「雁金」よみ→かりがね
雁の紋様より転用した紋で雁音とも書き、同じく「かりがね」と読みます。
土佐坊昌俊が源頼朝の治承の挙兵にのぞみ、2文字に雁の旗を賜り、これを
家紋にしたそうです。多くの大名・旗本に用いられ、柴田勝家や真田氏も
使用しています。(真田氏の使用は江戸期ぐらいから・・・)
柴田勝家→丸にニ雁金→雁が上下に2羽いる紋です。丸は江戸期に衣紋と
して常用するために付加されたものと考えられています。
また、上部の雁のみ開口していると伝わっていますが「見聞諸家紋」
等に見られる古式の雁金紋にはそういったものは見つかっていません。
真田氏→結び雁金(むすびかりがね)→雁の胴体が輪を描いている紋です。
"いろは"は一度、本物の雁を見てみたいなぁと思っています。
雁(かり)= 鴈(がん)
カモ目の大形の水鳥の総称。白鳥より小さく、カモより大きい。体形・生活
状態はカモ類に似るが普通雄雌同色。北半球北部で繁殖し、日本では冬鳥。
マガン・ヒシクイなどが多い。
雁金の家紋の図柄は下記URLに用意しました。
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………
「続・応仁の乱」
前回は応仁元年(1467)にはじまった応仁の乱の各地の様子を少し見て
1473年に両軍の総大将、東軍:細川勝元と西軍:山名宗全が相次いで
亡くなったところまできました。
文明6年(1474)に細川政元と山名政豊は和睦をしますが、文明9年(1477)
に京都に滞陣していた諸大名が帰国するまで応仁の乱は続きます。
今回は1473〜1477の応仁の乱が終るまでを各地のできごとを
とりまぜながら見てゆきたいと思います。
◆東西両軍で和議が行われれるが畠山義就(よしなり)が反対する(1473)
・加賀の富樫政親が国内の西軍の攻撃を受ける(1473)
・安芸では西軍の小早川(竹原)弘景が小早川(沼田)元平の高山城を
攻撃する。(1473)
・西軍・大内政弘が摂津に、畠山義就が山城(淀)に出兵。(1473)
・足利義尚(よしひさ)が9代将軍となる(1473)
・越前の東軍朝倉孝景が甲斐八郎の軍勢を破る。(1474)
・陸奥では白川政朝(まさとも)と岩城親隆(たかちか)が同盟を結ぶ(1474)
◆山名宗全の後継者:山名政豊と細川勝元の後継者:細川政元との間で
和平協議が成立。しかし西軍の畠山義就、東軍の赤松政則は承諾せず。
西軍の諸将には足利義視(よしみ)と義尚の和睦がなされなければ
東幕府に帰参しないという意見もあった。
・西軍・大内政弘、畠山義就らが山名政豊に敗れる(1474)
→大内政弘は幕府に降伏を請う。
・加賀の富樫政親は西軍の弟:幸千代(こうちよ)から加賀を奪回。(1474)
・加賀の一向宗徒が富樫政親と戦い敗れる。(1475)
→下間蓮崇(しもつまれんそう)の企てにより寺社が炎上。
・越前では蓮如(れんにょ)が寺社、他宗教、守護等と対立してはならないと
一向宗徒にさとす。(1475)
・近江の東軍:京極政経(まさつね)と延暦寺宗徒が西軍の六角高頼
(ろっかくたかより)を破る(1475)
→西軍の土岐成頼らが六角高頼の救援の為近江に出兵し延暦寺宗徒、
多賀高忠(たがたかただ)らを破る(1475)
・出雲の尼子清貞(あまごきよさだ)が能義郡(のぎぐん)の土一揆を破る(1476)
・北条早雲(伊勢新九郎)、太田道灌(おおたどうかん)が今川氏の家督争いの
調停に赴く(1476)
↓
↓今川義忠亡き後、嫡男:氏親(竜王丸:たつおうまる)はわずか6歳だった為
義忠のいとこ小鹿範満(おがのりみつ)をおす勢力が対抗して家督争いが
勃発した。これに堀越公方足利政知と扇谷(おうぎがやつ)上杉定正が介入。
それぞれ、上杉政憲、太田道灌を派遣して範満派に加担した。これに対して
氏親派を代表したのが氏親の叔父早雲。氏親が成人するまで範満の家督代考案
をだして調停した。
・関東管領上杉顕定(あきさだ)の有力家臣:長尾景春が関東で反乱(1476)
→長尾景春が上杉顕定、上杉(扇谷)定正を攻撃(武蔵)(1477)
→太田道灌が各地で長尾景春方の諸将を破る。(1477)
→古河公方足利成氏が長尾景春を救援し、両上杉軍を攻撃する。
◆東西両軍で和議が成立し、西軍の中心人物畠山義就が河内へ下る(1477.9)
◆1477.11.11。土岐成頼が足利義視をともない美濃へ帰国。能登守護畠山義統
(よしむね)、大内政弘も帰国し、応仁の乱が終る。
………………………………………………………
お疲れ様でしたぁぁ。これで応仁の乱が終りです。といっても各地での
くすぶりは続いていたり、応仁の乱とは別に私怨ではじまった長尾景春の
乱なども関東に残っています。
(足利将軍は東軍がおしていた義尚でおちつく)
余談ですが、京都の西陣織の名の由来は、西軍の山名宗全が京都市上京区
(堀川以西)に陣したことに由来しています。乱後、疎開していた織物職人達が
この地にもどり、西陣織を発展させたそうです。
■■
■■ 【5】新製品情報……………………………………………………
「家紋シールに仲間が増えました(毘、六文銭)」
お待たせいたしました。家紋カッティングシールにあらたに
ご要望の多かった
・上杉謙信の「毘」(家紋ではありませんが・・・、黒。)
・真田氏の「六文銭」(赤・黒)
が登場しました。どうぞよろしくお願いします。
http://www.aduchimomoyama.com/s_4cutting.htm
車体に貼るなど屋外や、特に寒いところでシールを貼る場合は
ドライヤーなどで少し暖めてから作業すると貼りやすくなります。
貼り方の詳細はこちらをご覧下さい。
http://www.aduchimomoyama.com/s_4_1harikata.htm
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。
来月もよろしくお願いいたします。
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「雁金」 |
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結び雁金 |
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安土桃山通信 3月号 2003/3/01
………………………………………………………………VOL.9
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
春の便りもチラホラと聞こえるようになりました。
旅行のパンフレットなどを眺めていると満開の桜にお城がそびえている
写真をよく見かけます。最近見かけたのは「彦根城の天守閣と桜」
「二条城の庭園の桜」「米沢城址の桜」「高遠城址の桜」「弘前城の
桜」・・・の写真。綺麗ですねぇ。桜とお城ってあいますね。
こじつけですが、新製品に「江戸城ペーパークラフト」(桜はなし)が
登場です。新製品情報も是非読んでくださいね。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【0】新製品情報 「マイカーにも"ミニのぼり"が飾れます」
【1】今月のちいさな発見 「あさい」と「あざい」
【2】今月の誕生日武将 「3月」
【3】今月の家紋 「一文字に三つ星」
【4】できごと 「享徳(きょうとく)の乱」
【5】新製品情報 「江戸城ペーパークラフトが仲間入り」
■■
■■ 【0】新製品情報 「マイカーにも"ミニのぼり"」………
〜★★ミニのぼり専用吸着盤を新発売★★〜
「戦国武将ミニのぼり旗」にオプションとして吸着盤が発売されました。
スタンドからのぼり旗を取り外し、この吸着盤に差し込めば
マイカーのガラスや、洗面所の鏡等、今まで不可能だった側面に
取り付けることが可能です。縦横どちらの方向にも差し込めるので
狭いスペースに立てて取り付けることもできます。
信長の歴史散策には、信長ののぼり・・・信玄の歴史散策には信玄ののぼり・・・
等、是非歴史ドライブのお供に連れて行っていただけたらと思います。
只今、のぼり旗お買い上げのお客様には1個無料でプレゼント中です。
(2003年3月31日注文分までが対象です。)
是非この機会にお試しくださいませ!!
http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori_fqty.htm
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「あさい」と「あざい」
昨年の大河ドラマの前半にも登場した浅井長政「あざいながまさ」。
以前は浅井を「あさい」と発音していましたよね。
研究で「あざい」とにごることがわかったそうです。
なので、皆で「あざい」とにごりましょう!
大阪「おおさか」を「おおざか」とも当時発音していたそうです。
なるほどぉ。「おおざか」というのは以前からも聞いたことがある
ような気がします。
「さ」が「ざ」に"にごる"となると佐々成政(さっさなりまさ)
なんかはどうなっちゃうのでしょう・・・
今度、詳しい方に会ったら聞いてみたいと思います。
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦でご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
【3月05日】足利義晴・・・義澄の子。室町幕府12代将軍(1511)
【3月06日】松平信康・・・家康の長男。岡崎城主(1559)
【3月10日】足利義輝・・・義晴の子。室町幕府13代将軍(1536)
【3月13日】鍋島直茂・・・清房の子。佐賀城主(1538)
【3月23日】北畠教具(のりとも)・・・伊勢国司。(1471)
【3月??日】南部信直・・・高信の子。二戸城主(日付不明)(1546)
4月は細川藤孝(幽斎)が登場です。
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「一文字に三つ星」よみ→いちもじにみつほし
別名「長門三つ星(ながとみつほし)」。毛利家の家紋です。
三つの丸の上に一の文字。なんとなく「三本の矢」のイメージで
覚えている方も多いのではないでしょうか。星紋に属します。
星紋は北辰信仰の対象:北極星は北の方角、時をはかる指針とされ
妙見信仰に結びつきました。
妙見菩薩→北極星あるいは北斗七星を神格化した菩薩。国土を擁護し、
災害を滅除し、人の福寿を増すという。特に眼病平癒を
祈る妙見法の本尊。主として日蓮宗で尊崇。
↓
眼病平癒というのも不思議ですが、病気のために眼球に
生じる小さな白い点を「ほし目」というからかも
しれません。
ちょっとまぎらわしいのが、「渡辺星」という家紋です。
これは、三つ星の下に一文字がある「三つ星に一文字」です。
嵯峨源氏流:渡辺氏の家紋です。逆さにしても毛利氏の家紋には
なりませんので、家紋製品を買うときは注意してください。(笑)
あえて、渡辺星が欲しい方、家紋瓦ならご用意できます。
長門三つ星、渡辺星の家紋の図柄を見たい方は下記URLへ
ついでに、「府中三つ星」「徳山三つ星」も掲載しました。
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………
「享徳(きょうとく)の乱」〜「都鄙(とひ)の合体」
応仁の乱が一段落したところで今月は享徳の乱、はじまりは1454年
(応仁の乱より前)から約30年間も続く関東での争乱をサラっと取り上げ
たいと思います。
1454年12月鎌倉公方:足利成氏が、関東管領:上杉憲忠とその家宰:
長尾実景親子を西御門の御所に呼び出しその場で殺害しました。
同時に武田・里見・印東ら近習ら下野の国人ら数百騎が山内の上杉邸に夜討
ちをかけ、一帯を制圧。山内上杉の有力家臣:長尾景仲が領国下野に行って
鎌倉を空けている隙を狙った成氏の奇襲でした。
鎌倉公方は三代足利氏満以来、関東独立政権を目指して、しばしば室町幕府と
対立していて、これは地域権力としての自立を要求する関東国人達の意志に
答えようとした為でした。
関東管領は室町幕府の忠実な家臣として、公方に対する目付け役の地位に
ありました。
憲忠暗殺の知らせが翌年1月に京に届くと幕府は成氏討伐の強攻策を決定します。
この事件は全国に先駆けて関東に争乱の時代をよび、30年間続く享徳の乱の
幕開けとなりました。
↓
1482年11月(応仁の乱より後)。前将軍:足利義政が関東管領:上杉顕定
(あきさだ)の父房定に宛て、足利成氏との和睦に同意するむねの御内書を
出しました。これにより、前々年から交渉が進められていた将軍と公方の
和睦が正式に成立しました。世の人々はこれを「都鄙(とひ)の合体」
「都鄙(とひ)の和睦」と呼びました。都は京都、鄙は鎌倉のことです。
■■
■■ 【5】新製品情報「江戸城ペーパークラフト」……………………………
本格ペーパークラフト「江戸城大天守美術模型」が仲間入り!!
最近何かに熱中してますか?休日に工作はいかがですか?
もくもくと紙を切り、もくもくと糊付けし、子供の頃のように時間を忘れて
江戸城を作る・・・。精密だから手抜きをすると落城寸前のお城みたいに
なってしまいます。大人でも手ごたえ充分。
今は見ることの出来ない江戸城大天守、じっくりと時間をかけて作りあげて
いただきたい逸品です。(1日で完成させるのはちょっと難しいです。)
江戸城大天守美術模型のページはこちら↓です。
http://www.aduchimomoyama.com/s_11edojo.htm
今月も最後までお読みいただきありがとうございました。
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安土桃山通信 4月号 2003/04/01
………………………………………………………………VOL.10
いつもご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
もうすぐ新しい戦国武将のぼり旗が発売されます。
別便メールで近くお知らせいたします。こちらも内容満載で
お届けしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 「信長の父は偉大」
【2】今月の誕生日武将 「4月」
【3】今月の家紋 「梅鉢」
【4】できごと 「太田道灌、主君の上杉定正に謀殺される」
「山内上杉氏と扇谷上杉氏」
「鎌倉公方と古河公方」
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「信長の父は偉大」
読書しました。「信長の謎<徹底検証>」:加来耕三氏:講談社文庫。
織田信長の父信秀もすごかったことがわかりました。この父あっての
息子(信長)という気がしました。これは"いろは"の私見ですが
父信秀の葬儀の際、信長が焼香を投げつけたことは有名ですが
これを「うつけ」とは思えません。若い自分を残して死んでしまった、
もっと学ぶことがあったのに・・・もうしばらく楯となって生きていて
欲しかったのに・・・と、悲しみを通り過ぎた怒り、多感な時期の
やりきれない思いが素直にでた行動だと思います。なので
父に対する信長の思いの深さがかえってわかる行動でもあると
思います。そう思わせてくれる信秀像がこの本にありました。
また、話は飛びますが、竹中半兵衛が稲葉山城を急襲し、主君をいさめて
城は返したという美談。実は違うようです。
"いろは"はまだまだ勉強不足を痛烈に実感いたしました。
そんな部分を様々な文献をもとに書かれたこの本は充分補ってくれます。
本ってありがたくて、面白くて、そして安いですね。
(自分で調べたら交通費だけで大変ですよね。)
これからもがんばって、楽しく勉強してゆきますので
どうぞ、今月もお付き合いくださいませ。
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
(今月は武将でない人物がずいぶん混ざってしまいました。)
【4月26日】山科言継・・・言綱の子。権大納言(1507)
【4月29日】松平広忠・・・清康の子、家康の父。岡崎城主(1526)
【4月22日】細川藤孝・・・号は幽斎、忠興の父。田辺城主(1534)
【4月23日】誠仁親王(さねひとしんのう)正親町天皇第一皇子(1552)
【4月07日】徳川秀忠・・・家康の三男。江戸幕府2代将軍(1579)
【4月11日】千姫・・・徳川秀忠の長女。豊臣秀頼に嫁ぐ(1597)
西暦【4月7日】フランシスコ・ザビエル・・・宣教師(1506)
5月は島津貴久(義久・義弘の父)が登場です。
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「梅鉢」よみ→「うめばち」
今月は昨年の大河ドラマ「利家とまつ」にもよく登場した「梅鉢」紋です。
梅の紋は花を写実的に象った「梅花紋」(絵画的)と5つの円を梅の花弁に
見立てた紋様の「梅鉢紋」(幾何学的)に分けられます。
菅原道真を祭った天神信仰とのかかわりも深く、大宰府天満宮や北野神社などでも
この紋を目にすることができます。紋様としては古く奈良・平安時代からすでに
使用されていました。
戦国時代では、近江、美濃の豪族の使用が多く、美濃斉藤氏は天満宮を深く信仰
して、領内各所に天満宮を勧請し、梅鉢紋を用いました。
(斉藤氏自体の家紋は撫子(なでしこ)紋です。)
臣下のものも、領内の豪族もこぞって梅鉢を使用したといわれています。
のちに、斎藤氏(加賀出身)の庶流であった加賀の前田家、信州飯田の堀家なども
家紋として使用しました。
前田利家というと「加賀梅鉢」(剣梅鉢)が有名ですが、利家の時代には「星梅鉢」
という紋を使用していたとも言われています。加賀の支藩である、大聖寺藩や
富山藩は細部を変更した独自の「大聖寺梅鉢」「富山梅鉢」を創設しています。
一般的に「剣梅鉢」は剣の部分が非常に大きくなっていますが、加賀梅鉢の剣の部分
は小さいものです。
★ 梅鉢の家紋の図柄(星梅鉢・加賀梅鉢・大聖寺梅鉢・富山梅鉢・剣梅鉢)を
下記URLに用意しました。是非見比べて見て下さい。
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………
【 太田道灌、主君の上杉定正に謀殺される 】
今月はもう少し関東の動きを追いました。
文明18年(1486)扇谷上杉定正の軍勢が太田道灌を糟谷にある定正の
館に襲撃し、即日討ち果たしました。享徳の乱で卓越した兵略を駆使し
扇谷家の地位を高めた道灌でしたが、主君定正への反逆を計画している
との噂が流れていました。それまで絶大の信頼を寄せていた定正も
次第に不信感をつのらせ、また、山内上杉家側からの道灌非難の声も絶えず
両上杉氏の周到な計画による謀殺でした。
(山内上杉顕定(あきさだ)も出兵しています。)
顕定の陰謀にのせられた定正の愚昧さが原因とよく言われていますが
道灌が主家の待遇に強い不満をいだいていたのは事実で、下剋上にいたる
可能性は充分にあったようです。
ともあれ、扇谷家は「軍略師範」と称された道灌を失ったことで
多くの家臣や国人をも失う事になります。
【 山内上杉氏と扇谷上杉氏 】
この時代の上杉氏を書くと山内上杉氏や扇谷(おうぎがやつ)上杉氏などと
色々登場します。いったい何が違うのでしょう。調べてみました。
↓
南北朝の内乱の時、上杉氏は新田氏のおさえとして上野守護になりました。
その後、鎌倉公方の執事となります。(この執事職は後の関東管領です。)
上杉氏は鎌倉にあった屋敷の地名により扇谷、詫間、犬懸、山内の四家に
分かれます。これが扇谷上杉氏や山内上杉氏と呼ばれるようになった始まり
です。
↓
太田道灌を殺害した扇谷上杉氏は天文14年(1545)河越にて北条氏康の
軍勢によって当時の当主朝定の討死をもって滅亡。
一緒に戦った山内上杉憲政も同じく敗れ、その後長尾景虎(上杉謙信)を
頼り、上杉氏の姓と関東管領職を譲りました。
(上杉謙信は山内上杉氏系を継いだのですねぇ。)
【 鎌倉公方と古河公方 】
さてさて、公方という職もいろいろ登場します。
鎌倉公方は鎌倉府の長、関東8カ国と伊豆・甲斐の10カ国を支配した
足利氏の称です(関東公方ともいいます)。1349年に足利義詮(よしあきら)
の弟基氏(もとうじ)が兄に代わって鎌倉に入ってからその子孫が
世襲しました。その後、陸奥・出羽も管領したにおきます。持氏の代より
永享の乱、享徳の乱によって衰退し、その子成氏(しげうじ)が下総古河に
移ってからは古河公方と呼ばれ、関東に下向しようとして伊豆にとどまった
堀越(ほりごえ)公方と対立しました。
(あ〜ややこしいですね。でも鎌倉公方と古河公方は居場所が変わっただけ
なのですね。)
今月も最後までお読みくださいありがとうございました。
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2003/4月のメルマガ
連動画像
「梅鉢」 |
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| 星梅鉢 |
加賀梅鉢 |
大聖寺梅鉢 |
富山梅鉢 |
剣梅鉢 |
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2003年春の特別号 バックナンバー目次に戻る |
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安土桃山通信 春の特別号 2003/04/01
………………………………………………………………VOL.11
安土桃山通販看板娘「いろは」です。本日2通目のメルマガに
なってしまいました。お許しくださいませ。
戦国武将ミニのぼり旗の新しい仲間が本日より発売開始です。
待っていてくださった方、ありがとうございます。
大変お待たせいたしました!
関連事項を織り交ぜながら4月号とは別に
「春の特別号」をお届けいたします。
■■
■■ 目次……………………………………………………………………
【1】吉野の花見と醍醐の花見
【2】上杉謙信の「毘」と「龍」の旗印
【3】桶狭間の戦い
【4】長篠の戦い
【5】戦国武将ミニのぼり旗バージョンアップ
■■
■■ 【1】吉野の花見と醍醐の花見………………………………………
桜の季節がやってきました。桜というとやはり豊臣秀吉の花見が
思い起こされます。
【吉野の花見】・・・文禄3年(1594)
豊臣秀吉は3000人もの行列を作って大和の吉野で花見の宴を開きました。
秀吉はつけ髭をし、眉を描き、はぐろをつけておもむいたそうですが
さんざんの"雨"でした。参加した武将は、徳川家康、前田利家、
小早川秀秋、伊達政宗ら、公家では菊亭晴季、日野輝資ら、連歌師の
里村招巴(さとむらじょうは)も一緒でした。
歌会は雨の為、吉水院(きっすいいん=吉水社よしみずしゃ)を仮屋形
として行われました。
↓
★今年のお花見でもし雨に降られてしまったら
ガッカリしないで吉野の花見の気分だと思って下さい。
【醍醐の花見】・・・慶長3年(1598)
同じく豊臣秀吉が山城の醍醐寺三宝院で花見を行いました。
この花見を計画したのは、朝鮮での戦略膠着や秀頼(当時6歳)の
将来への不安などからくる憂さを晴らす為だったといわれています。
この日は晴れました。この宴は諸大名の参加を許さず、北の政所を
はじめ妻妾を中心とした異例の催しで醍醐寺の周囲を厳重に警護した
中で行われました。(前田利家夫妻は友情(?)参加しています。)
↓
★今年のお花見を身内だけで行う方は醍醐気分ですね。
================================
★★お花見にも持って行く?「新秀吉のぼりセット」
紺地に金の五七の桐ののぼり旗が新登場しました。
http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori_3set.htm
================================
■■
■■ 【2】上杉謙信の「毘」と「龍」の旗印……………………………
大雪に閉ざされる越後の上杉謙信にとっても春は待ち遠しかったでしょう。
ご存じの通り、謙信は真言宗に深く帰依し、生涯妻を娶りませんでした。
そんな謙信が本陣旗として使用したのは「刀八毘沙門(とうはちびしゃもん)」
の旗です。白地に「毘」と書かれ、毘沙門天を意味します。
【毘沙門天】
夜叉・羅刹を率いて北方世界を守護し、また財宝を守るとされる神。
甲冑を着けた憤怒の武将形に表され片手に宝塔を棒げ、片手に鉾、または宝棒
を持ちます。日本では七福神ともされます。また多聞天(たもんてん)とも
訳し、四天王の一人です。
私欲では決して戦わなかった謙信は今でも人気の高い武将です。
その志がつまったような旗ですよね。この「毘」の旗ともう一つ有名なのが
「懸り乱れ龍(かかりみだれりゅう)」です。白地に「龍」の文字が
書かれています。この旗は突撃の合図に使用されました。
「かかれ〜!!」ということでしょうか。
================================
★★ついに発売開始です。「刀八毘沙門」「懸り乱れ龍」のぼり旗
初めての四半型タイプのミニのぼりです。
http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori.htm
================================
■■
■■ 【3】桶狭間の戦い……………………………………………………
《 永禄3年(1560) 今川義元 VS 織田信長 》
三河を平定した今川義元は上洛の為尾張に進出。この時の今川軍は
2万5千、それに対し信長軍は全力動員をかけても5千ぐらいであったと
いわれています。絶対的に不利な状況の中、信長は2千の軍勢を率いて
捨て身の戦いを仕掛けました。桶狭間で休憩していた義元隊を奇襲した
といわれていますが、最近の研究では迂回せずに中島砦からまっすぐに
今川軍に正面攻撃を仕掛けたという説も出てきています。
いずれにしても信長の勝利! この戦いで義元は首を討たれ、
今川家は衰退してゆきます。今川家に人質状態であった徳川家康が
自立することになった戦いでもあります。
================================
★★ちょっとかわいい感じもする今川義元の「赤鳥」の旗を新作
桶狭間セットでどうぞ。
http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori_3set.htm
================================
■■
■■ 【4】長篠の戦い………………………………………………………
《 天正3年(1575) 織田信長・徳川家康 VS 武田勝頼 》
武田信玄の死後、子の勝頼は徳川家康との戦いに力を入れ、高天神城
を落とし、さらに三河の長篠城攻めに。長篠城からの救援の求めに応じ
信長と家康は設楽ヶ原へ出陣。勝頼は戦国最強とうたわれた武田騎馬隊
をもってすれば、信長・家康軍の大軍を破ることができると考えていた
ではありましょうが、馬防柵と築き、鉄砲3千梃による三弾撃ちを
しかけてくる信長・家康軍の前に敗退。この戦いで勝頼は馬場信房ら
名だたる武将を失い急速に衰退してしまいます。
================================
★★ちょっと豪華な赤地や紺地に金の武田菱の旗を新作
信長ファンも武田ファンも仲良く長篠セットでどうぞ。
http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori_3set.htm
================================
■■
■■ 【5】戦国武将ミニのぼり旗バージョンアップ……………………
【 お知らせ 】
昨年より、赤地に黒の武田菱(武田信玄)と六文銭(真田幸村)の
紋の染色に少々のニジミが発生しておりましたが、この度、代替新製品
として、新しく赤地に金の武田菱、六文銭を新発売させていただく
ことに致しました。新しいこののぼり旗はチチ(のぼり旗をスタンドに
通す輪状の布の部分)にも染色して色に統一感をだしました。
また、生地はテトロンからポリエステルに変更。
旗自体に少し光沢があります。ニジミもなく、渋い金が豪華さと重みを
かもし出しています。長い間、ご迷惑をおかけいたしました。
これに伴いまして、旧版は在庫がなくなり次第販売を終了いたします。
★★新メンバーののぼり旗達をどうぞよろしくお願いいたします。
今後もリクエストにお答えして、少しずつではありますが種類を増やして
ゆく所存です。お気軽にどんどんリクエストもお寄せいただければ幸いです。
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2003年5月号 バックナンバー目次に戻る |
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安土桃山通信 5月号 2003/05/01
………………………………………………………………VOL.12
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
2003/4/14(月)文化放送ラジオ「吉田照美のやる気MANMAN」
(放送エリア:関東)において戦国武将の家紋はんこ
が紹介されました。これもひとえに今日まで安土桃山通販を
支えてくださった皆様のお陰でございます。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 「ウンスン・カルタ」
【2】今月の誕生日武将 「5月」
【3】今月の家紋 「武田菱」
【4】できごと 「足利義政と東山文化」
【5】伝言板 「たずね人」
【6】新製品情報 「はんこ:藤巴・違い鷹の羽、真田紐:紫」
■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「ウンスン・カルタ」
カルタは16世紀中頃から来航するようになったポルトガル船に
よって日本に伝わり賭博用具として広まりました。
1597年の「長宗我部元親式目」に「博奕(ばくち)カルタ諸勝負停止」
とあるところからも、その流行ぶりがうかがえます。
ウンスンとはポルトガル語のウン(1)とスン(最高)からきていると
されています。5種類の紋章の数札を各15枚、計75枚からなる
ウンスン・カルタは現在の「いろはカルタ」のイメージとは違い
トランプに近いものです。金箔手書きの高級品が多く残されています。
「ピンからキリまで」という言葉がありますが、
「ピン」もポルトガル語の点の意で1をの数を表し、
「キリ」はポルトガル語のクルス。十字架の意から転じて10の意味です。
「ウンからスンまで」と言った方が幅が広いですね。(笑)
戦国の時代から、私たちの生活にさりげなくポルトガル語が入り込んで
いるのですね。和食の「天ぷら」もポルトガル語からきています。
先日「ウンスン・カルタ」を見る機会があったので
改めて、ポルトガル語の影響を実感しました。
追伸!「ウンともスンとも言わない・・・」の「ウン」「スン」の語源は
ポルトガル語とは関係なく、日本語でした。
(「ウン」=「はい」、「スン」は不明)
■■
■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦で少しずつご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
【5月04日】相良長毎(サガラナガツネ)・・・人吉藩主(1574)
【5月05日】島津貴久・・・忠良の子。島津氏15代当主(1514)
【5月08日】狩野光信・・・永徳の子。画家。(1561:1565説もアリ)
【5月27日】鶴松・・・豊臣秀吉の長男。母は淀殿。(1589)
【5月29日】正親町天皇(オオギマチテンノウ)・・・(1517)
今月は、少なくてすいません。なかなか5月生まれの武将が
見つかりませんでした。戦に忙しく記録に残している暇が
なかったのでしょうかね???6月も少なそうです。
がんばって、探します!
■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「武田菱」「花菱」よみ→「たけだびし」「はなびし」
武田信玄の家紋としてとても有名。菱紋は甲斐源氏の代表家紋です。
連続する織紋様を取り出し、単純明瞭な形が好まれたもの。
斜方形が水草の菱の葉ににているところから菱紋と名づけられました。
武田菱と呼ばれるものは俗に割菱と呼ばれる形ですが、通常の割菱より
線が細くなっています。また、花菱も信玄の家紋です。
これを初めて家紋にしたのは清和源氏義光流の出である甲斐武田氏で
した。鎧の袖に割り菱、直垂(ひたたれ)に違い菱紋をつけていた記録
があり、武田氏とその一族、および若狭の守護が割り菱(武田菱)、
板垣氏は地黒菱、小笠原氏は松皮菱を使用していたことがわかっています。
小笠原の流れをくむ三好氏も三階菱を使用するなど、その後も広く
諸家に広がってゆきました。
大内氏は独特の唐花菱(大内菱)を使用しています。
話を武田菱に戻しますと、武田菱は武田の「田」を表したものとも
言われています。なるほどぉ。似ています。
家紋が名字を表す印としても、なんて信玄にふさわしいのでしょう。
最後に「菱」という植物は、一年生水草で、池沼、河川に自生して
菱形の葉を水面に浮かせています。歴史散策の折に、水辺で見つけられたら
ちょっと、楽しくなりそうです。
菱家紋の図柄を見たい方は下記URLへ
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………
「足利義政と東山文化」
これまで、戦国時代の幕開けである応仁の乱から各地の動きをいろいろ
みてまいりました。今月は、その混乱の中でも花ひらいた、東山文化と
足利将軍にスポットをあててみたいと思います。
足利義政の時代を中心に栄えた文化が「東山文化」です。その中心に位置づけ
られるのが、義政晩年の山荘=東山殿です。
東山殿の建物のうち、現存する「銀閣(観音殿)」はご存知の方も多いと
思います。また東山文化は生活文化がその形を整えた時でもありました。
生活文化=茶・花・香です。現在も残る花流「池坊」もこのころからです。
茶では村田珠光(じゅこう)が「草庵茶の湯」を確立しました。
1490年、前将軍足利義政は東山山荘で死去しました。(当時の将軍は義稙)
義政は将軍義教(よしのり)・日野重子の次男として1436年に生まれました。
嘉吉(かきつ)の乱で父義教が暗殺されると、2歳上の兄義勝(よしかつ)が
8歳で後を継ぎます。が、この兄が病死したため、義政がやはり8歳で後を継ぎ
1449年に将軍となります。その後、1472年に9歳の嫡男義尚(よしひさ)
に将軍職を譲り、本人は東山殿の造営に没頭します。妻は日野富子。
(将軍の移り変わり 義教→義勝→義政→義尚→義稙→・・・ )
義政や日野富子の浪費ぶり、悪政ぶり有名です。応仁の乱をはさむ混乱の
時代に東山文化を開花させた背景には財政的に諸国守護大名の負担、民の
負担は想像を絶します。文化は華やかな部分にだけ注目されがちですが、
私たちのご先祖のご苦労を考えるともっと重たい、血と汗の結晶に思えます。
(ちょっとくさい表現ですが・・・)この間には飢饉もありました。
東山文化の背景に民のいたいたしい叫び声が聞こえてくるようで、
"いろは"は文化の感じ方が変ってしまいました。
次回から、戦国時代の第2段階である戦国大名の登場へ進んでゆきたい
と思います。
■■
■■ 【5】伝言板「たすね人」
NHK大河ドラマ「葵・徳川三代」をDVDで録画された方を
ダビング希望の方が探しておられます。
メルマガ読者さんにお持ちの方はいらっしゃいませんか?
いらっしゃいましたら「いろは」までご連絡ください。
探されている方より、メールにてご連絡がいきますよう
取次ぎいたします。
(方法や謝礼等は当人同士でやり取りしてくださいますようお願いいたします。
依頼者は安土桃山通販のお客様で支払い等、対応の良い方ですので安心です。)
ご協力くださる方は下記の「いろは」のメールアドレスまでご連絡ください。
iroha@aduchimomoyama.com
どうぞよろしくお願いいたします。
■■
■■ 【6】新製品情報
−−「家紋はんこ」に新しい仲間が登場です−−−−−−−−−−−
●藤巴(ふじどもえ)・・・・・・・・・・黒田家
●丸に違い鷹の羽(ちがいたかのは)・・・浅野家
−−−−−−−−− http://www.aduchimomoyama.com/s_3hanko.htm
−−「真田紐」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●紫
●鶯(うぐいす色) が追加されました。
・商品番号H1(緑×茶)はメーカー製造終了のため
在庫がなくなり次第、販売終了となります。
代替品といたしましては、同柄色違いの新製品●H5鶯をどうぞ
ご利用くださいませ。
−−−−−−−−− http://www.aduchimomoyama.com/s_7sanada.htm
★発売そうそう、品切れさせてしまった織田信長の「天下布武はんこ」。
只今、在庫に余裕がございます。4月は多くのお客様をお待たせして
しまい、大変申し訳ございませんでした。
最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。
それでは、皆様よいゴールデンウィークを!!
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2003/5月のメルマガ
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「菱」 |
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| 武田菱 |
花菱 |
松皮菱 |
三階菱 |
大内菱 |
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安土桃山通信 合戦図屏風増刊号 2003/05/18
………………………………………………………………VOL.13
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
今回は「関ヶ原合戦図屏風」の販売を記念いたしまして
合戦図屏風特集増刊号をお届けいたします。
関ヶ原合戦図屏風ページ
http://www.aduchimomoyama.com/s_10_2byobu_s.htm
■■
■■ 目次…………………………………………………………
【1】合戦図屏風とは
【2】合戦図屏風形式表現について
【3】川中島合戦図屏風
【4】大阪夏の陣図屏風
【5】関ヶ原合戦図屏風
【6】主要合戦図屏風所蔵一覧
■■
■■ 【1】合戦図屏風とは……………………………………
戦国合戦図屏風とは、各地で行われた合戦を主題として、
江戸時代の以前に製作された屏風絵の総称です。
武家社会において書院造の殿邸建築が本格化するようになると、
各室を分ける襖、障子とともに室内を仕切る屏風が広く求められ
るようになりました。その装飾としての襖絵、屏風絵が大作絵画
となり、狩野派をはじめとする諸派が成立し、優れた屏風絵作品
が多く生み出されるようになります。
屏風絵の成立以前、合戦は「合戦絵巻」という巻物で描かれて
いました。
■■
■■ 【2】合戦図屏風形式表現について………………………
屏風はもともと室内で風避けや視線をさえぎる為の仕切りとして
使われた可動式の調度品です。室町時代には6枚の画面からなる
屏風絵が左右2点そろいで1セットとなった「六曲一双」の形式
が確立し、その後の屏風の主流となりました。
8枚の画面からなる屏風絵が左右1セットであれば「八曲一双」、
左右一双のうち、どちらか片方しかない場合は「一隻」または
「半双」といいます。
左右2点の屏風絵のうち向かって左に立てる屏風絵を左隻(させき)
向かって右に立てる屏風絵を右隻(うせき)と呼びます。
画面はそれぞれ右から第一扇、第二扇、第三扇・・・と数えます。
■■
■■ 【3】川中島合戦図屏風………………………………………
越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が信濃の川中島で戦った様子が
描かれています。啄木鳥戦法で妻女山を追い落とされるであろう
上杉軍を八幡原で待ち構える武田信玄本体の陣立が描かれた屏風は
岩国歴史美術館蔵。上杉軍の勝利を証明するための配慮が随所に
見られる屏風は米沢市上杉博物館蔵。信玄と謙信の一騎打ちとその
直後の状況が描かれた屏風はミュージアム中仙道蔵。同じ「川中島
合戦図屏風」でもさまざまな場面が描かれ種類も豊富です。
(・安土桃山通販取扱川中島合戦図屏風(縮小版)は岩国歴史美術館
蔵のものです。)
■■
■■ 【4】大阪夏の陣図屏風…………………………………………
徳川家康・秀忠率いる大軍が、豊臣秀頼を大阪城に攻め滅ぼした
大阪夏の陣における戦闘の様子が描かれています。開戦時の両軍陣立
てを右隻に、落城直後の逃げ惑う将兵や民衆の姿を左隻に描かれたもの
は大阪城天守閣蔵。屏風の中の人物5,071人、軍馬348頭、のぼり旗
1,387本といわれています。すごい迫力です。彦根城博物館蔵の屏風は
若江での戦いにおける井伊家の奮戦が描かれています。
夏の陣の前に行われた冬の陣を描いたものは東京国立博物館蔵。
真田丸の攻防などが描かれています。
(・安土桃山通販取扱大阪夏の陣屏風(縮小版)は大阪城天守閣蔵の
ものです。)
■■
■■ 【5】関ヶ原合戦図屏風…………………………………………
豊臣秀吉亡き後の徳川家康と石田三成との間で戦われた関ヶ原の
戦いが描かれています。決戦前日の大垣城の様子から前哨戦である
杭瀬川と本戦の様子をを八曲一双の大画面に描いた屏風は大阪歴史
博物館蔵。井伊直政とその家臣団の活躍が中心に描かれた屏風は
彦根城博物館蔵。岐阜市歴史博物館蔵の屏風は他の作品にはない
北側からとらえた構成の珍しいものです。
(・安土桃山通販取扱関ヶ原合戦図屏風(縮小版)は関ヶ原町歴史民俗
資料館蔵。彦根博物館蔵の屏風を直接模写した写本です。)
関ヶ原合戦図屏風ページ
http://www.aduchimomoyama.com/s_10_2byobu_s.htm
■■
■■ 【6】主要合戦図屏風所蔵一覧…………………………………
上記以外の主要合戦図屏風を抜粋して所蔵をまとめてみました。
所蔵していても、常設展示していない場合がありますので
お出かけの際には確認された方がよいと思います。
姉川合戦図屏風 ・・・ 福井県立博物館
長篠合戦図屏風 ・・・ 徳川美術館(愛知県)
長篠合戦図屏風 ・・・ 大阪城天守閣
長篠合戦図屏風 ・・・ 松浦史料博物館(長崎県)
耳川合戦図屏風 ・・・ 萬野美術館(大阪府)
賤ヶ岳合戦図屏風・・・ 大阪城天守閣
賤ヶ岳合戦図屏風・・・ 勝山城博物館(福井県)
賤ヶ岳合戦図屏風・・・ 岐阜県立博物館
賤ヶ岳合戦図屏風・・・ 南蛮文化館(大阪府)
長久手合戦図屏風・・・ 徳川美術館(愛知県)
長久手合戦図屏風・・・ 大阪城天守閣
長久手合戦図屏風・・・ 松浦史料博物館(長崎県)
朝鮮軍陣図屏風 ・・・ 佐賀県立図書館
朝鮮軍陣図屏風 ・・・ 福岡市博物館
……………………………………………………………………
たくさんありますねぇ。
"いろは"は合戦図屏風を見るのが大好きです。
以前「ウォーリーを探せ」という絵本がはやりましたが
合戦図屏風の中に武将を見つける楽しみがこれに似ています。
博物館などで合戦図屏風を見つけると30分ぐらいはそこから
動かなくなります。ガラスケースに入っている場合が多いので
屏風の中の細かい字(武将名等)が読みずらいですよね。
今度、双眼鏡をもっていこうかな・・・
ズーム機能がついていても館内はカメラ撮影禁止のところが
ほとんどです。
いつも最後までお読みくださりありがとうございます。
お疲れ様でした。それでは6月号もよろしくお願いいたします。
■■
■■お知らせ
2003年5月よりこのメールマガジンを配信しているシステム
「まぐまぐ」より自動で最下部に広告が挿入されるようになりました。
安土桃山通信の本文とは関係ありません。
特に、前回の5月号は紛らわしい内容の広告が偶然にも
挿入されてしまい、混乱を招いたかと思います。
大変申し訳ございませんでした。どうぞご了承くださいませ。
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安土桃山通信 6月号 2003/06/01
………………………………………………………………VOL.14
ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘「いろは」がお届けします。
きたる6月4日(水)のNHK総合テレビ「その時歴史が動いた」
という番組のテーマは「信長と家康。そして同盟は幻に消えた」
です。楽しみですね。放送は夜、PM9時15分から
PM9時58分までですよ〜。
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■■ 目次…………………………………………………………
【1】今月のちいさな発見 「江戸城の切手」
【2】今月の誕生日武将 「6月」
【3】今月の家紋 「片喰(かたばみ)」
【4】できごと 「戦国大名の登場」
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■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………
「江戸城の切手」
今年は江戸幕府開府400年。去る5月23日に郵便局から
江戸開府400年記念切手シリーズ<第一集>が発売されました。
5種類の切手が各2枚ずつ計10枚のシートです。江戸城の図柄が
目に飛び込んできます。もうお持ちの方も多いかもしれないですね。
この江戸城は江戸図屏風に描かれているものです。
(前号:合戦図屏風特集の余韻が・・・)<第一集>のテーマは
「武家の美」です。ざっと5種類をご紹介。
1、江戸図屏風(部分)国立歴史民俗博物館蔵 ←江戸城
2、江戸城本丸等障壁画絵様(部分・合成) ←馬
3、花色日の丸威胴丸具足(徳川美術館蔵) ←鎧
4、千代姫婚礼調度初音蒔絵硯箱(部分・国宝)徳川美術館蔵
5、能面「中将」および紅地雷門、四つ花菱紋厚板(部分)←能面
お仕事等で郵便物を受け取ったら切手にも注目してみてください。
江戸城に会えるかもしれません。
今後発売予定の<第2集>のテーマは「町人と美」(6月12日発売予定)
<第3集>のテーマは「開国に向かって」だそうです。
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■■ 【2】今月の誕生日武将………………………………………
武将の誕生日はなかなかはっきりしません。
資料などで調べたものを旧暦でご紹介します。
自分と同じ誕生日の武将がみつかるといいですね。
が、6月生まれの読者様、大変申し訳ございません。
6月生まれの武将がほとんど見つかりませんでした。
手を抜いたわけではないのですが・・・。ガッカリさせて
すいません。
【6月04日】後水尾天皇・・・後陽成天皇第三皇子(1596)
【6月16日】酒井忠勝・・・忠利の子。小浜藩主(1587)
【6月日付不明】一乗冬良・・・兼良の子。関白。太政大臣(1464)
お詫びと言ってはなんですが、「旧暦」について少し・・・
いつもこのコーナーでご紹介している日付は「旧暦」です。
「太陰太陽暦」を広義に「旧暦」といったり「陰暦」と言ったりします。
歴史小説などを読んでいると閏(うるう)○月などという表現がでてきます。
旧暦の特徴ですよね。これは1年が354日だった為です。
太陽暦では4年に一度閏日(2月29日)がありますが、
旧暦では19年間に7回などの基準を設けて、2〜3年に一度閏月を
はめ込んでいました。特定の月には限定されず、閏4月、閏7月など
さまざまに登場しています。ややこしいですね。
(閏月に生まれた武将の翌年の誕生日はどうなるのでしょう????)
7月は島津義弘が登場です。
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■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………
「片喰」よみ→(かたばみ)
今月の家紋は「片喰」。聞き慣れない名前ですが、「見たことある、
自分の家の家紋だ!」という方も多いかもしれません。現在でも
「片喰」家紋は非常に多くの家が使用しているそうです。
武将では藤堂高虎(蔦紋も使用)、酒井忠次(徳川家康四天王)などが
使用しています。変った形の「丸に七つ片喰」は土佐の長宗我部氏の
独占紋でもあります。また、備前の宇喜多氏も現在は「児の字紋」が
知られていますが、「剣片喰」も使用していました。
「片喰」は「酢漿草」とも書きます。カタバミ科の植物でクローバーに
似た多年生草本です。紋章としては「太平記」に新田義貞の軍中に、
この紋を使用した者があったと記録されているところから南北朝時代の
頃から用いられるようになったようです。
「片喰」の家紋の図柄は下記URLにあります。
http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
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■■ 【4】できごと……………………………………………………
「戦国大名の登場」
これまで、応仁の乱から足利幕府の衰退などをみてきましたが、
これ以後、時代は細川政元のクーデターや北条早雲の伊豆侵攻等
下剋上による戦国大名の出現と同時に各地が戦乱の世となってゆきます。
三好長慶政権の成立から信長上洛まで、これからじっくり見てゆきたいと
思います。
●それではまず「戦国大名」とは・・・
「戦国大名」戦国時代に地域的な覇権を握った地方政権の領袖(トップ)。
領域としては郡規模から数カ国と広狭多様です。軍事力を中心とした
実力をよりどころとして、自立した政権を打ち立てたところに特徴があり、
それが、室町将軍の権限に依拠している守護大名との相違点です。
軍事・経済・司法の権限を掌握し、家臣団を編成して公権力として
民衆も支配体制の中に組み込んでいました。
●1550〜1560年頃の戦国大名をご紹介(順不同)
「読み」に迷うことも多いので読み仮名も合わせてご紹介します。
読み仮名のあとの地域は参考です。(いろいろ動きますので・・・)
南部晴政(なんぶはるまさ):陸奥
安東愛季(あんとうちかすえ):出羽秋田
葛西晴胤(かさいはるたね):奥州
大崎義直(おおさきよしなお):奥州
最上義守(もがみよしもり):奥州 ←義光のおとうさん
伊達晴宗(だてはるむね):奥羽 ←政宗のおじいちゃん
上杉謙信(うえすぎけんしん):越後
蘆名盛氏(あしなもりうじ):奥州
佐竹義昭(さたけよしあき):常陸
結城晴朝(ゆうきはるとも):下総
里見義堯(さとみよしたか):上総
北条氏康(ほうじょううじやす):相模
武田信玄(たけだしんげん):甲斐
今川義元(いまがわよし |