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「安土桃山通信」

「安土桃山通信」バックナンバー:2 2004年
2002年〜2003年へ

2004年1月号                       バックナンバー目次に戻る

▲▲…………………………………………………………………
    安土桃山通信 1月号   2004/01/01
………………………………………………………………VOL.24

 新年あけましておめでとうございます。
いつもご講読ありがとうございます。
今年も安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「戦国自衛隊?」
【2】今月の・・・人?  「五奉行」
【3】今月の家紋     「神紋・寺紋特集」
【4】できごと      「刑部・引馬城の戦い」
【5】新製品       「ミニ兜」

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「戦国自衛隊?」

 自衛隊のイラク派遣のニュースが毎日のように報道されていますが
先日"いろは"は、ニュース画面に映る自衛隊の戦車の左側面に
「毘」の文字を発見しました!
操縦しているのは上杉謙信・・・のわけはありませんが、興奮しました。
あれは、戦車の整理番号的な名前「毘」号ということなのでしょうか?

上杉謙信が「毘」の文字を本陣旗として使用したことは有名です。
最近は武田信玄の「風林火山」号がないかとニュースに釘付けに
なっています。

「毘」→【毘沙門天】
夜叉・羅刹を率いて北方世界を守護し、また財宝を守るとされる神。
甲冑を着けた憤怒の武将形に表され片手に宝塔を棒げ、片手に鉾、または宝棒
を持ちます。日本では七福神ともされます。また多聞天(たもんてん)とも
訳し、四天王の一人です。
 
      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第四回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループの言葉を毎月ご紹介しています。

「五奉行」(ごぶぎょう)

 豊臣秀吉政権の職制で「五大老・五奉行」の第2回目。先月は「五大老」
を取り上げましたので、今月は「五奉行」です。

秀吉の死の直後、五大老・五奉行が10人対等で多数決で諸事に
あたることが決められていますが、両者には大きな差がありました。
大老が参議として国政に発言できる存在とすると、奉行はその命によって
実務を執行する者にすぎませんでした。ではその5名をご紹介。

●浅野長政(あさのながまさ)
  尾張出身。賤ヶ岳の戦いで功があり、天正10年近江で2万石をうけ
  京都奉行となる。その後、若狭小浜8万石に転封。五奉行となる。
  朝鮮派兵後、石田三成の讒言(ざんげん)により子・幸長に領地を譲る。
  関ヶ原の合戦では家康(東軍)を支持し常陸真壁5万石を隠居料として
  うける。下野塩原温泉で死去。65歳。

●石田三成(いしだみつなり)
  近江出身。佐和山城主。小坊主(6歳)の頃、当時長浜城主だった
  秀吉に見出され、秀吉側近の官僚として頭角をあらわす。
  秀吉の関白就任の際に治部少輔に叙任。堺の奉行も兼ねた。
  朝鮮派兵時は船奉行。太閤検地に尽力したが、関ヶ原の合戦では
  家康(東軍)に敗れ、京都六条河原で処刑された。41歳。
  
●増田長盛(ましたながもり)
  尾張又は近江の出身。秀吉に仕えはじめ2百石。小牧・長久手の戦いで
  2万石に加増。朝鮮派兵時は渡海して行政・軍務を掌握。豊臣秀保死後の
  大和郡山城20万石を領す。近江や安房の検地を行い、伏見城の工事も
  分担。関ヶ原の合戦では西軍に属し、大阪城で留守居を勤める。
  戦後は所領没収され高野山に追放となる。大阪夏の陣の際自刃。75歳。
  
●長束正家(なつかまさいえ)
  はじめは丹羽長秀・長重に仕えた。天正13年から秀吉に仕え、
  小田原の役では兵糧担当。増田長盛らと検地を行い、朝鮮派兵時は
  肥前名護屋に駐屯。伏見城の工事の分担など内政に従事。
  関ヶ原の合戦では西軍に属し、南宮山に布陣。敗戦後自刃した。
  (享年不明)

●前田玄以(まえだげんい)
  美濃出身。比叡山延暦寺に入り、その後還俗して織田信長の嫡子・
  信忠に仕え、本能寺の変では岐阜に逃れ、信忠の子・三法師を擁して
  尾張清洲に移った。織田信雄に京都所司代に任じられた後、秀吉に仕え
  丹波亀山に5万石を領した。奉行としては公家・寺社を管轄。
  関ヶ原の合戦では、はじめ西軍。会津征伐中の家康に通じ、戦後は
  所領を安堵された。

    来月は、ちょっとマニアチックに、「五大老・五奉行」につづく
    「三中老」を取り上げます。

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

 改めて、あけましておめでとうございます。もう初詣にお出かけの方も
多いと思います。家紋は家の紋ですが、寺社仏閣にも個別の紋があります。
今月はお正月にちなんで寺社仏閣の神紋・寺紋特集です。
初詣にいかれたら、寺社仏閣ののぼりや瓦、幕などにちょっと注目してみると
面白いと思います。

・寺社−寺紋−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 【1】本能寺(京都) ・・・ 鶴丸
 【2】西本願寺(京都)・・・ 九条藤
 【3】延暦寺(滋賀) ・・・ 菊輪宝
 【4】醍醐寺(京都) ・・・ 桐
 【5】増上寺(東京) ・・・ 徳川葵
 【6】誓願寺(京都) ・・・ 三つ盛亀甲に花角
 【7】善光寺(長野) ・・・ 立葵
 【8】建長寺(神奈川)・・・ 鱗
 【9】永平寺(福井) ・・・ 竜胆車
 【10】東大寺(奈良) ・・・ 四つ割り菊に花角
・神社−神紋−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 【1】阿蘇神社(熊本)・・・ 違い鷹の羽
 【2】春日神宮(奈良)・・・ 下り藤
 【3】八坂神社(京都)・・・ 木瓜
 【4】熱田神宮(愛知)・・・ 桐竹
 【5】住吉大社(大阪)・・・ 陰花菱 
 【6】豊国神社(京都)・・・ 五七桐
 【7】出雲大社(島根)・・・ 亀甲に剣花菱 
 【8】厳島神社(広島)・・・ 三つ亀甲に剣花菱
 【9】金毘羅宮(香川)・・・ 丸に金の字
 【10】鶴岡八幡宮(神奈川)・・・ 鶴丸

   
   家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 応仁の乱から戦国時代の各地の動向(1500年〜1550年頃)を見て
きましたので、今回からは同年代の「合戦」にスポットをあてて
ゆきたいと思います。

 ●「刑部(おさかべ)の戦い」(1511)
   今川氏親 VS 斯波義達

  尾張守護:斯波義達が駿河・遠江守護:今川氏親(義元の父)方の
 刑部城(静岡県)を攻めました。それまで遠江守護だったのは斯波氏で
 遠江侵攻をねらった氏親が幕府に申請して1508年に遠江守護に任じられ
 遠江をめぐる今川氏と斯波氏の戦いがこの後も続きます。が、次第に
 斯波氏の勢力は衰退してゆきます。今川軍の主力は氏親の叔父である
 北条早雲でした。

 (余談)今川方の刑部城主は当時伊達忠宗でした。
     この忠宗は伊達政宗の息子(仙台二代藩主)とは別人です。

  
 ●「引馬(ひくま)城の戦い」(1516)
   今川氏親 VS 大河内貞綱

  大河内貞綱は斯波義達の家臣で、今川方の手薄な引馬城(静岡県)を占領。  
 氏親はあわてて大軍を派遣しますが、難攻します。そこで駿河の
 阿倍金山の金掘り人夫を呼び出し、トンネルを掘らせて城中の井戸を
 壊すことに成功。水の手を絶たれた引馬城はその後すぐに落ちました。

 (余談)引馬城は「引間」「曳馬」などと書かれる場合もあります。
     のちに、徳川家康が入ってからは地域を拡張し「浜松城」と
     改名されました。

■■
■■ 【5】新製品「ミニ兜」…………………………………………

 石粉粘土で製作した戦国武将のミニ兜を発売開始いたしました。
全22種(在庫は現在11種類)。是非のぞいて見てくださいませ。

ミニ兜のページ
 http://www.aduchimomoyama.com/s_16kabuto.htm

はじめての兜の取扱で、随分兜について勉強しました。
兜の世界も奥深く、面白いですねぇ。今度博物館などで兜を見たら
今までとは全く見方が違いそうです。近々メルマガにて兜の用語などの
特集も組んでみたいと思います。
………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
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 2004/1月メルマガ連動画像「寺紋・神紋特集」 
本能寺 西本願寺 延暦寺 醍醐寺 増上寺
誓願寺 善光寺 建長寺 永平寺 東大寺
阿蘇神社 春日神宮 八坂神社 熱田神宮 住吉大社
豊国神社 出雲大社 厳島神社 金毘羅宮 鶴岡八幡宮
2004年2月号                       バックナンバー目次に戻る

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    安土桃山通信 2月号   2004/02/01
………………………………………………………………VOL.25

 ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。

  ★★★全国送料一律¥500★★★
 
 郵便局のEXPACK便を利用してかなりの商品が全国送料一律¥500
でお届けできるようになりました。これで少し地域による不平等感が
解消できたかと思います。対象商品、詳細はどうぞ下記ページを
ご覧下さいませ。ご利用をお待ちしております。

 http://www.aduchimomoyama.com/

家紋シールや真田紐等、配達記録郵便切手代の方が安い場合は
従来どおりです。(送料が安いほうで対応いたします。)
どうぞよろしくお願い申し上げます。

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「続・戦国自衛隊?」
【2】今月の・・・人?  「三中老」
【3】今月の家紋     「杏葉」
【4】できごと      「高尾城の戦い」他
【5】新製品 新製品ミニ色紙第2弾 「武田信玄」
   あとがき

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「続・戦国自衛隊」

 先月号で「毘」の文字が入った自衛隊の戦車をニュースで見ました、と
お伝えしましたら、新潟県警の機動隊のヘルメット後頭部の板
(ヘルメットの後ろに板状の部分がついているそうです。)にも
「毘」の文字が入っているという情報をいただきました。
(やるじゃん新潟県!上杉機動隊といったところでしょうか。)
山梨県警機動隊には「武田菱」が、(あ〜武田機動軍団)
茨城県警機動隊には「葵」の紋が入っているそうです。
(こちらは水戸黄門のスケさんカクさん的?)
各県、特色の在る装備なのには、驚きです。ちなみに"いろは"在住の
千葉県警機動隊は県のマークが入っています。(ちょっとガッカリ)

現代の警察にも、少し歴史と伝統が受け継がれているのが嬉しいですね。

他県の情報はあまりわかりませんが、ニュースで機動隊が出てきたら
後頭部を要チェックです。
 
      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第五回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループの言葉を毎月ご紹介しています。

「三中老」(さんちゅうろう)

 前々回、前回で「五大老・五奉行」を取り上げましたので、今月は
「三中老」です。三中老は秀吉の遺言には出てきませんが、太閤記などの
史料は残っており、五大老と五奉行が不和になった場合の調停役的な
機関として設けられたようです。

そうそうたる面々(五大老・五奉行)を調停する役には、賤ヶ岳の戦いで
三番隊、四番隊、五番隊に属し、右翼軍の中核として戦った次の3人の
譜代衆が選ばれました。

●中村一氏(なかむらかずうじ)府中(静岡)城主
 一政の子。天王寺城で大阪本願寺門跡派の一揆を破り岸和田城主となる。
 四国征伐の際は阿波木津城に参加し、近江水口城主となる。
 小田原の役では山中城攻めに参加、駿河府中城主となる。
 伏見城や大和多門城の工事も分担し、駿河直領の代官ともなる。
 関ヶ原の戦いでは東軍に属したが、突如発病の為死去。

●生駒親正(いこまちかまさ) 高松(香川)城主
 親重の子。はじめ織田信長に仕え、のちに豊臣秀吉に従う。
 長篠の戦い、本願寺征伐、紀伊雑賀一揆征伐、山崎、賤ヶ岳、小牧山
 小田原の各戦いに軍功があり、朝鮮役でも渡海した。
 近江高島2万石から伊勢神戸4万石、播州赤穂6万石、ついで讃岐一国
 を与えられた。関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、許されて子の一正の
 もとで死去。(子の一正は東軍に属していた為高松17万石を与えられた)

●堀尾吉晴(ほりおよしはる) 浜松(静岡)城主
 泰晴の子。秀吉の尾張時代からの家臣。
(それ以前は信長に仕えていたらしい。)
 本願寺顕如を天王寺に破り、九州の役、小田原の役では山中城攻めに参加。
 若狭高浜1万7千石、若狭坂本2万石、近江佐和山4万石と加増され、
 遠江浜松城12万石となる。越前府中に5万石の隠居料を与えられ
 家督を忠氏に譲る。その後の関ヶ原の戦いでは東軍に味方する。 


■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「杏葉」よみ→ぎょうよう

 お正月にNHKで放送された大友宗麟の家紋として広く知られています。
杏葉は大陸伝来の装飾的な馬具(唐鞍・・・カラクラに使用された金銅製の
装飾)を図案化した紋で、杏(あんず)の葉に似ているところからこの名が
ついたといわれています。

 大友氏の勢力により九州・鎮西地方では権威のある紋となりました。
大友氏から杏葉紋を与えられた一族の立花氏、戸次氏、田原氏などの
有力家臣は「同紋衆」と呼ばれて優遇され、また大友宗麟と戦った
龍造寺隆信は戦勝を記念して杏葉紋に改めました。
(それほど杏葉紋はあこがれの的だったのですね。)

後に龍造寺氏を継ぐ鍋島直茂も杏葉紋を使用しています。

杏葉紋は茗荷(みょうが)紋と非常に似ていますが、葉脈の筋や先端に花房が
ないことである程度見分けることができます。
後に鍋島氏が幕府に提出した公式文書に鍋島家自らが「みょうが」と
間違えて書いてしまったエピソードも残っているほどですが、
この頃には杏葉紋の権威は薄れてしまっていたのかもしれません。

   
   杏葉紋と鍋島杏葉、立花杏葉の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm


追記1:今でも伝統工芸品などの引き出しの金具に杏葉の形を見ることがあります。
   家紋としてだけでなく装飾的な意味合いでも受け継がれています。

追記2:鎧(よろい)にも「杏葉」という部品があります。紋ほどはっきり
   していないように思いますが、形が似ています。
   「杏葉」・・・肩上から胸前に垂らした一双の金物で、はじめは
          胴丸の肩上につけて肩の護りとした。のちに
          胴丸に袖がつくようになり、胸前に垂らすように
          なった。(図説・戦国甲冑集より)

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

  応仁の乱から戦国時代の各地の動向(1500年〜1550年頃)を見て
きましたので、前回から同年代におきた「合戦」を見ています。

今回は北陸の一向一揆がらみを3つご紹介します。

 ●「高尾城の戦い」(1488年 金沢市)
   加賀一向一揆 VS 富樫政親(とがしまさちか)

  ★一向宗による加賀支配(以後100年)を実現させた戦い。

  一向宗は守護である富樫家の内紛では政親に協力していましたが、
 政親が権力を握ると反抗に転じます。一向宗側の指導者「蓮如(れんにょ)」
 は信徒の勢いを抑止しようと試みますが、蜂起した数万人の一向宗徒は
 「南無阿弥陀仏」の名号を記した旗をかざして高尾城を取り囲みます。
 政親の援軍、畠山義統(よしむね)は包囲の壁を破ることができず、
 朝倉貞景も間に合わず、政親は自刃し高尾城は一向宗に占領されました。

 ●「九頭竜川の戦い」(1506年 福井市)
   朝倉貞景・教景(のりかげ) VS 一向一揆

  一向宗が越中、能登につづき越前をも支配しようとした戦いですが、
 越前守護の朝倉貞景・教景に敗退しました。この時、諸国から集まった
 一向宗徒は総勢30万といわれています。(誇張ありと思われます)
 以後、越前では一向宗の帰国を許さず10年ほど平和が続きます。

 ●「般若野の戦い」(1506年 砺波市)
   長尾能景(よしかげ)・為景 VS 神保慶宗(よしむね)・一向一揆

 加賀一向勢が越中に侵攻し、守護代の神保慶宗と戦いとなりました。
支援を求められた越後の守護代長尾能景も援軍にかけつけますが、
優勢な加賀勢の前に慶宗が寝返ってしまい、形勢不利となった能景は
般若野で戦死してしまいます。

4年後には能景の子為景が慶宗を自刃に追い込みます。
(為景は上杉謙信のお父さんです)


■■
■■ 【5】新製品 ミニ色紙第2弾発売開始………………………… 

 第2弾は武田信玄。
 
 「人は城 人は石垣 人は掘 情は味方 仇は敵なり」
             (なさけはみかた あだはてきなり)

 人を大切にする信玄流人間管理の基本ともいうべきこの語句をミニ
色紙にしました。家臣がいざというときに死力を尽くす士気を保つ為に
普段から情をかけておく・・・
 本拠である甲州に大きなお城を築かなかった信玄には、まさにピッタリ
なのですが、一方で戦場の一人一人が城であり、堀である、
「帰る城はない・・・」という厳しい言葉と解釈される場合もあります。

 優しいだけでは生き残れない戦国時代の「情」と「非情」の基本理念の
傑作といってよいのではないでしょうか。

 ミニ色紙のページ
 http://www.aduchimomoyama.com/s_15shikishi.htm


………あとがき………………………………………………………………

2004年2月14日公開予定の映画「クリビアにおまかせ!」の
主演女優「ルス・ルカ」さんが織田信長の家紋瓦を気に入ってくださいました。
海外の方に日本文化を喜んでいただけるのは"いろは"もとても嬉しいです。
証拠写真はこちら
 http://corebooth.com/main/movie/streaming/krivia/index.html

情報提供:コアブース様( http://corebooth.com/ )
どうもありがとうございました。

…………………………………………………………………………………

今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
・メールアドレス: iroha@aduchimomoyama.com
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2004/2月のメルマガ
連動画像
「杏葉(ぎょうよう)」
杏葉 鍋島杏葉 立花杏葉
2004年3月号                       バックナンバー目次に戻る

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    安土桃山通信 3月号   2004/03/01
………………………………………………………………VOL.26

 ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「穴太衆と大原三千院」・「熊本城主」
【2】今月の・・・人?  「豊臣秀頼四天王」
【3】今月の家紋     「源氏車」
【4】できごと      「田手畷戦い」・「勢場ヶ原の戦い」
【5】新商品(のぼり旗)  「織田3兄弟限定セット」


■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   ●「穴太衆と大原三千院」
    穴太衆(あのうしゅう→石工の技術者集団 安土城の石垣で有名)

    応仁の乱の頃、戦乱続きの京都では寺社でも防衛手段として
    石垣を作ったそうです。一見、戦国とはあまり縁のなさそうな
    京都大原三千院でも、穴太衆の野面積み(のづらづみ(穴太積))を
    今でも見ることができるそうです。これから三千院にいかれる方は
    是非見てきてください。("いろは"は昔行きましたが知らなかった・・・うぅ)

   ●「熊本城主」になれる!?

    熊本市が熊本城復元募金活動を行なっていることを知りました。
    1万円以上の寄附をされた方には「城主証」が発行されるそうです。  
    "いろは"も検討中。城主証をいただいたら経過報告しますね。

    熊本城復元募金のページはこちら
    http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/fukugen/bokin.html
      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第六回)……………………………

 秀吉の五大老五奉行三中老が終りました。今月は秀吉の跡継ぎ
豊臣秀頼の四天王をご紹介。
(暗記している方は読む前に4人の名前を言ってみてね(^_^))

「豊臣秀頼四天王」

●木村重成(きむらしげなり)
 出自については紀伊国那賀郡猪垣村の地侍の子とも、木村常陸介の子とも
 伝えられていますが不明です。大阪冬の陣の講和の際、使者として
 徳川家康のもとにおもむき誓紙を受領しました。夏の陣で大阪城外
 の若江で井伊直孝軍と戦い討死。

●真田幸村(さなだゆきむら)
 真田昌幸の二男。豊臣秀吉の近臣となり、大谷吉継の娘を妻とした。
 関ヶ原の戦いでは、はじめ徳川家康の会津征伐に加わりましたが、
 石田三成挙兵後、上田城に籠城して徳川秀忠と対戦。
 敗戦後、高野山で蟄居するも、大阪冬の陣の際に大阪城へ入り、
 夏の陣の際、茶臼山の戦いで戦死した。

●長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)
 元親の四男。はじめ吉良氏を継いだが、長兄の戦死のよって家督を継ぐ。
 秀吉の小田原の役、文禄・慶長の役にも出陣。石田三成に誘われ、
 関ヶ原の戦いでは西軍につき、敗戦後、所領没収となる。のちに上洛して
 寺子屋を開いた。大阪夏の陣では藤堂軍と対戦。落城後、山城八幡に
 蟄居中に捕らえられ、京都で斬られたと伝わっています。

●後藤基次(ごとうもとつぐ)→後藤又兵衛
 はじめ黒田孝高(官兵衛)の臣。反逆事件に連座して追放されましたが
 黒田長政の時に再度仕えました。秀吉の九州征伐、文禄・慶長の役、
 関ヶ原の戦いにも長政に従い奮戦。その後謀反の疑いをかけられて浪人。
 大阪冬の陣に秀頼に招かれて入城、夏の陣で討死しました。

大阪の陣では本当に惜しい人達を亡くしました。惜しい人四天王と言っても
いいかもしれないですねぇ。
来月は四天王つづきで織田信長の四天王をご紹介予定です。
(ヒント・・・秀吉は入りません。)


■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「源氏車」よみ→げんじぐるま

 源氏車は平安時代、貴族の乗り物であった牛車の車輪が図案化され
模様や紋章となったものです。車軸の数では六本骨源氏車、
八本骨源氏車、十二本骨源氏車などがあります。

源氏車は車紋の一種ですが、源氏出身の人が使用しているとは限りません。
佐藤氏(藤原氏系)の代表紋となっており、伊勢神宮の宮方を務め、
大神宮奉献の任務を記念して、その車の輪を家紋にしたそうです。
伊勢の榊原に住んだこの佐藤氏から榊原氏が発祥しました。 

徳川家康四天王の一人、榊原康政の家紋は榊原源氏車という独占紋です。
車輪の側面の筋彫りが六角形になっているのが特徴です。
榊という神事に用いる木の名が含まれる土地に住んだこと、伊勢神宮との
関係、榊原氏の家紋はまさに先祖の歴史を受け継いでいる紋なのですねぇ。

一方、車輪を半分に切った形である「波切り車」という紋もあり、
これは下半分が水の中にあることを表現しているそうです。
尾張の生駒氏が使用しています。

   源氏車紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm

 ところで、家紋を研究されている方や家系を調査している方などは、
各地の墓地などを廻り墓石の家紋で調査などを進めています。
地道な作業ですね。最近は洋風で「愛」や「慈」などの文字を
書いた墓石が増えてきているようですが、家紋は片隅にでも
残していきたいですね。
   

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 1500年〜1550年頃の「合戦」を見ています。
今月は北九州の覇権を確立しようとする大内軍の戦いを2つご紹介。

 ●「田手畷(たでなわて)の戦い」(1530年 佐賀県)
   龍造寺家兼 VS 杉興運(すぎおきゆき)(大内軍)

 大内義隆の命を受けた杉興運が少弐氏の居城・勢福寺城を攻めました。
少弐資元は龍造寺家兼らに命じ、この大内勢と戦い勝利をおさめます。
龍造寺勢は大内軍においたてられ、一時危機に陥りましたが、耳まで
裂けた鬼面をつけ赤熊(しゃぐま)の毛をかぶった鍋島清久・清房父子の
一隊が横合いから大内勢に突入しかく乱。龍造寺勢の勝利の原動力と
なりました。龍造寺家兼は戦後恩賞として1千貫の地を得て飛躍してゆきます。


 ●「勢場ヶ原(せいばがはら)の戦い」(1534年 大分県)
   陶興房・杉重信(大内軍)VS 吉弘氏直・寒田(そうだ)親将(大友軍)

 陶興房・杉重信に率いられた大内軍が豊後に侵入。大内軍が予想した進路に
反して侵入してきたため、兵を分配していた大友軍は最初壊滅状態となります。
吉弘氏直・寒田親将の両将もこの勢場ヶ原で討死。しかし、後から駆けつけた
別働隊の活躍で大内勢は敗走し、豊後における大内氏の影響力を排除することに
成功しました。   


 この2つの戦いはともに大内軍の敗戦に終っています。
大内氏は対明・対朝鮮貿易の中心基地・博多を確保するのが目的でした。


■■
■■ 【5】新商品(のぼり旗)「織田3兄弟限定3本セット」……………

「今月の・・・人?」コーナーみたいですが、"いろは"自身が影響されて
織田信長の息子たち三兄弟ののぼり旗を初の「招き旗」付で製作してみました。
(10組限定の販売です。)
信長の子供達は男女計26人いたと言われています。(すごい子だくさん)
その中から、天下人候補だった三男までを3本セットにしました。

※「招き旗」とは・・・旗竿の先端につける小さな流れ旗です。「招き」と
      表現することもあります。

●織田信忠(のぶただ)・・・信長の長男。母は生駒氏。幼名:奇妙

●織田信雄(のぶかつ)・・・信長の二男。母は生駒氏。幼名:茶筅(ちゃせん)

●織田信孝(のぶたか)・・・信長の三男。母は坂氏。幼名:三七

 限定セットの掲載ページはこちらです。
 http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori_3set.htm

追記:信長の子供たちの幼名はとても変わっていますね。
   六男は大洞(おおぼら)、七男は小洞(こぼら)だそうです。
   
…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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    安土桃山通信 4月号   2004/04/01
………………………………………………………………VOL.27

ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
4月となりました。新年度、新学期をむかえ新しい環境でお読み
下さっている方も多いかと思います。転勤等でご住所が変られた
ユーザー様がいらっしゃいましたら、お気軽に"いろは"まで
お知らせくださいませ。 メール iroha@aduchimomoyama.com
新製品の絵葉書「錦絵にみる川中島合戦と武田廿四将」がご好評を
いただいております。家紋瓦も一部バーゲン中。ミニのぼりにも
武田信玄の御使番「百足(むかで)」が新たに加わりました。
詳しくは本文またはホームページを是非ご覧下さいませ。
………………………………………………………………………
錦絵絵葉書「川中島合戦と武田廿四将」
 http://www.aduchimomoyama.com/s_17hagaki.htm
家紋瓦バーゲン
 http://www.aduchimomoyama.com/gs_4event.htm
戦国武将ミニのぼり旗
 http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori.htm

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「金平糖」他
【2】今月の・・・人?  「織田信長四天王」
【3】今月の家紋     「丸に十字」と「轡」
【4】できごと      「立河原(たちかわはら)の戦い」他1戦
【5】新商品のご案内   「絵葉書」「のぼり」「色紙」

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

今月は食べ物ばかりとなりました。

   「金平糖」(こんぺいとう)

 金平糖は宣教師ルイス・フロイスが織田信長に献上したのが
日本最初だそうです。最近ではすっかり食べなくなりましたが
今度食べたらしみじみ味わいたいと思います。

   「八丁味噌」
 
 愛知県岡崎市八丁(現、八帖町)から産出されはじめた赤味噌が
八丁味噌です。徳川家康のいた岡崎城から八丁(約900mぐらい)の
距離にあったことからこの名がついたそうです。

   「外郎」(ういろう)

 足利義満の頃、大年宗奇という人が明から持ち帰ったのが最初
だそうですが、北条早雲の求めで宗奇の子・宇野定治が小田原に
伝え、小田原の名物となったそうです。
      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第七回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。
今月は「織田信長四天王」です。
(暗記している方は読む前に4人の名前を言ってみてね(^_^))

「織田信長四天王」

●柴田勝家(しばたかついえ)
 尾張国愛知郡出身。はじめ信長の弟信行の臣。林通勝と信長廃嫡を
 策しましたが、稲生合戦に敗れて信長に降伏。その後信長の直臣となる。
 家中随一の猛将として知られました。天正3年越前平定がなると
 同国を与えられ北ノ庄(福井)を居城としました。加賀一向一揆を鎮圧し、
 上杉景勝に対抗。本能寺の変後の清洲会議では秀吉に主導権を
 握られる。このあと信長の妹お市を妻とし、信長三男信孝や滝川一益ら
 と秀吉打倒の兵を挙げ、賤ヶ岳で敗北。北ノ庄城で自刃しました。

●滝川一益(たきがわかずます)
 近江国出身。信長に仕えて伊勢・伊賀侵攻に活躍。織田信雄のもとで
 働き北畠氏を滅ぼし、伊勢長島城主となりました。武田家滅亡後に
 関東を管領して上野国厩橋城主となりましたが、本能寺の変の際
 北条氏直と戦って敗れ、伊勢に戻りました。柴田勝家と結んで秀吉に
 抵抗しますが降伏し、近江国内で五千石を与えられました。そのご
 越前大野に引退し62歳で亡くなりました。
 
●丹羽長秀(にわながひで)
 尾張国春日井群出身。丹羽氏は代々斯波氏に仕えていましたが、
 天文19年から織田信長に仕えます。村井貞勝、明智光秀らとともに
 庶政にあたり、姉川の戦いでは佐和山城をおさえ、その功により
 佐和山城主となりました。長島の一向一揆、浅井・朝倉征伐、長篠の
 戦いにも功があり、本能寺の変の際は信孝を奉じて織田信澄を大阪城に
 攻め、秀吉とともに山崎で明智光秀と戦います。賤ヶ岳の戦いでも
 秀吉方として柴田勝家と戦い、勝家自刃後北ノ庄を居城としました。
 小牧の戦いにも秀吉側に属し子の長重を出陣させますが、その年に
 51歳で亡くなりました。

●明智光秀(あけちみつひで)
 (前半生は未詳)越前の朝倉義景に仕えて、義景を頼ってきた
 足利義昭が改めて織田信長を頼るに際し、細川藤孝とともにその間を
 工作し義昭の上洛に尽力した。以後、義昭と信長に両属し京都の庶政
 に関与。信長の征服戦にも従軍し近江坂本城主となりました。
 丹波の経略にも着手。途中、松永久秀・荒木村重が信長に叛くと
 その攻撃軍に参加するなど各地を転戦。丹波征服後は加増されて
 亀山城主となりました。安土城において徳川家康らの接待役を勤める
 途中、西国出兵を命じられ、亀山城を出陣するも京都に向かい
 本能寺を急襲して信長を自刃させました。その後政権構想を固める
 余裕もないうちに秀吉に攻められ坂本城に敗走中、土民に殺害されました。

柴田勝家や明智光秀の最後は大河ドラマなどでも有名なシーンとして
描かれますが、滝川一益や丹羽長秀はしらないうちに出てこなく
なってしまい「どこへいっちゃったんだろう???」なんて思いませんか?
武将はやはり合戦で最後をとげないと名を残しにくいのでしょうか?

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「丸に十文字(まるにじゅうもじ)」と「轡(くつわ)」

 丸に十文字といえば、やはり島津氏で有名です。
島津氏だけかというとそうではなく、他に大久保・加藤・内藤・森氏などの
大名や旗本が20家ほど使用していたそうです。

十文字は、古代から世界共通の呪符(災厄を避ける呪力があるとして身につける
もの。護符)で、これが中国から渡来し災厄を打ち払うものとして家紋として
選ばれました。最古のものは鎌倉時代の島津忠久の甲冑紋に見られます。

衣服などに用いるようになると、おさまりのよいように幾何学的に単純化され
丸に直線的な十字に変化したと思われますが、これが轡紋と見分けがつきません。
轡紋は馬の口に含ませ、手綱をつけるための金具の形を図案化したもので
原型を考えると意味合いは全く別物の家紋ですが、見た目は同じで困ってしまいます。

キリスト禁教時に十字架を思わせる十字の紋がキリスト信徒の疑いをまねくのを
恐れ、便宜上「轡」の語を用いたという説もあります。

逆に明らかにキリスト信徒としての信仰心を表す久留守(くるす)紋というのも
あります。大阪冬・夏の陣ではキリシタン大名や将兵が、キリスト教回復
のため籠城に加わり、軍旗や馬標にこの紋を用いました。
(島原の乱では天草四郎の軍旗がクルス紋でした。)

「轡紋」と「丸に十字久留守(くるす)紋」の違いはよ〜く見るとわかります。
   
   丸に十文字、轡、久留守の家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm


■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 1500年〜1550年頃の「合戦」を見ています。
今月は北条早雲がらみの合戦を2つご紹介します。

●立河原(たちかわはら)の戦い(1504年 東京都)
 山内上杉顕定(あきさだ) VS 北条早雲・扇谷上杉朝良(ともよし)

 これより前に山内上杉顕定と対陣中の扇谷上杉定正が北条早雲に救援を
 求め武州高見原(埼玉県小川町)で対戦。この陣中で定正が戦死し
 その子朝良が家督を継ぎました。北条早雲は小田原城の大森藤頼を攻め
 滅ぼし小田原城へ長男氏綱を入城させ相模・武蔵に進出してきます。
 再び朝良を救援する為に武蔵へ進軍し桝形城(川崎市)に陣を張ります
 河越城の朝良を包囲していた山内上杉顕定は、早雲の来援を聞いて
 白子(埼玉県朝霞市)に陣を移し、ついに立河原(東京都立川市)で
 決戦に及びました。早雲方には今川氏親の一軍も加勢しましたが
 顕定軍は越後の長尾為景らの来援もあって大勝、早雲方は大敗して
 一説によれば4万余騎を敗死させたといわれています。
 
●新井城の戦い(1516年 神奈川県)
 北条早雲 VS 三浦義同(よしあつ)

 断続的に東相模への進出を試みていた早雲は、扇谷上杉氏のもとで
 相模守護として勢力を張っていた三浦氏の岡崎城(神奈川県平塚市)、
 住吉城(同県鎌倉市)を落城させました。その後孤立無援のとなっていた
 新井城(同県三浦市)に籠城していた三浦義同に総攻撃をかけます。
 兵糧もつきた義同は子の義意とともに自刃し三浦氏はここに滅亡します。
 早雲は相模を完全に掌握し、伊豆の三島大社に戦勝の太刀奉納をしており、
 次いではじめて虎印判状を発して戦国大名としての領国支配を明確に打ち
 出しました。

 ※虎印判状についてはホームページの「北条家虎朱印」の項目に解説があります。
 http://www.aduchimomoyama.com/guide_t.htm

■■
■■ 【5】新商品のご案内………………………………………………

●絵葉書「錦絵に見る川中島合戦と武田廿四将」
 
 錦絵とは多色刷浮世絵版画で浮世絵版画の代表的な名称です。
川中島で上杉謙信が馬上から太刀で切りかかり、武田信玄がそれを軍配で
うけるシーンは皆様もどこかで目にしているかと思います。
そんな川中島合戦を中心に武田方、上杉方の諸将の錦絵32枚セットの
絵葉書となっています。一枚一枚丁寧にみているとまるで一つの美術館を
訪れたようなボリューム感です。32枚の内訳はホームページに
すべて記載いたしました。
 
 http://www.aduchimomoyama.com/s_17hagaki.htm

●戦国武将ミニのぼり旗に御使番衆が登場

 武田信玄の御使番の指物は白・紺の地色の布に、金または黒で蜈蚣
(百足:むかで)の絵と伝わっています。徳川家康の御使番は
長篠合戦図屏風においては白地に五の文字の指物を使用しています。
今回は二種とも配色はオリジナルとしてテレビドラマなどでよくみられる
黒地に金を採用いたしました。

※完売となっておりました赤地に黒の武田菱、六文銭もバージョンアップ
 して再発売いたしました。

戦国武将ミニのぼり旗
 http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori.htm

●ミニ色紙シリーズに毛利元就の「三矢の訓」を追加しました。
 
 3本の矢といえば、毛利家・吉川家・小早川家に例えられ、
毛利元就の遺言としても有名です。(異説有り)
上杉謙信、武田信玄につづく第3弾です。

 http://www.aduchimomoyama.com/s_15shikishi.htm

●家紋瓦バーゲン(わけ有り)も是非ご覧下さいませ。
 http://www.aduchimomoyama.com/gs_4event.htm
…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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「丸に十文字」
丸に十文字 轡(くつわ) 丸に十字久留守
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    安土桃山通信 5月号   2004/05/01
………………………………………………………………VOL.28

 いつもご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
ゴールデンウィークに入りました。いかがお過ごしでしょうか。
読書でも・・・でも何を読もうかな?本を買いに行くのも面倒だし・・・と
迷っていらっしゃる方がいましたら、気楽に安土桃山通信の
バックナンバーはいかがでしょうか。(^_^))
 http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine_m.htm

どうぞ、よいゴールデンウィークをお過ごしくださいませ。

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「足軽の気持ち」
【2】今月の・・・人?  「尼子十勇士」と「真田十勇士」
【3】今月の家紋     「引両」
【4】できごと      武田信虎「飯田河原・上条河原の戦い」
【5】お知らせ 「ジャパンネット銀行取扱開始」
        「ミニ兜一部製造中止」

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   "いろは"初陣「足軽の気持ち」

 4月18日に石和(山梨県)で行われた川中島合戦戦国絵巻という
合戦を再現したお祭りに上杉方の足軽として参加してきました。

朝9時に鎧を着せてもらったときは嬉しさもあり、とても士気があがり
「やるぞぉぉ」という感じでしたが、出陣の13時までの待ち時間が長く
快晴の高気温で鎧が蒸れ、といって何かやることも無く次第に疲れてきました。
兵糧攻めなどの長期戦では兵の士気が下がるのがよくわかりました。
★士気の低下を体感★

本番は4回ほど武田軍に突撃してゆくシナリオなのですが、砂地の河原が
会場で、両軍砂煙のなかで激突!実際はやりあいません。駆け抜けるだけです。
それでも少し怖かったです。大軍なので後ろの人(味方)にも気を使います。
背旗がぶつかりそうだったり、鎧もさることながら、槍が思いのほか重くて
走りにくく素早く動けません。本来の川中島合戦は霧で前がみえないはずですが、
砂で前が見えませんでした。
★突撃の恐怖の体感★

まだ春なのに、足軽用の甲冑だけで、ものすごい汗をかきました。
合戦終了後には缶ジュースを3本飲み干しました。
甲冑を着て走るのはやはり大変ですね。槍も持っていたためか、
その後右の肩甲骨が筋肉痛となりました。
★合戦の運動量を少し体感★
★日頃の訓練の必要性を実感★

前後左右に武将や足軽がたくさんいて、とても全体を見渡せる状況では
ありませんでした。はやり、足軽は目の前にある敵を倒すことだけで
精一杯です(実際は誰もたおしていません)。信頼のおける大将に戦法や
陣形をまかせられることが足軽の幸せだと思いました。
★足軽は足軽でせいいっぱいなのを体感★

とても楽しく貴重な体験ができました。
このメルマガの読者の皆様の中にも当日参加されていた方が、いるかも
しれないですね。昨年の大雨にひきつづき、今年は猛暑で大変でしたね。
お疲れ様でした。
      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第八回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。
今月は「尼子十勇士」です。
(暗記している方は読む前に10人の名前を言ってみてね(^_^)
 これは"いろは"にもキツイ・・・)

「尼子十勇士」(あまごじゅうゆうし)

尼子氏滅亡後、尼子氏の再興に務めた10人の勇士です。

●山中鹿之介
 山中幸盛(ゆきもり) 鹿之介は鹿介とも鹿之助ともいろいろ云われています。
 出雲尼子氏の家臣。亀井氏の養子に入るも、兄・甚太郎に代り山中氏を継ぐ。
 尼子氏再興をはかって毛利氏と戦いますが敗北。信長に頼って上月城に入城
 しますが、毛利氏に攻められ主君に立てた尼子勝久は自刃。鹿之介は投降し
 安芸に護送される途中に殺害されてしまいます。尼子氏の再興ははたせま
 せんでした。

●秋宅庵之介
●横道兵庫之介
●早川鮎之介
●尤道理之介
●寺本生死之介
●植田早苗之介
●深田泥之介
●薮(藪)田荊(いばら)之介
●小倉鼠之介

山中鹿之介を中心に一種の婆娑羅集団だったようです。
(婆娑羅・・・ばさら・・・派手にみえをはること)
名前にもそれが現れています。"どろのすけ"や"ねずみのすけ"と
名前が変っているだけでなく苗字との組合せも考えられています。
各人の詳細はわかりません。
10人に入っていませんが、「容赦無手之介」や「破骨障子之介」
という人もいたそうです。

のぼり旗が大好きな"いろは"が自分を命名するとしたら
「旗田指物介」といったところでしょうか。皆様はいかがですか?

「十勇士」というと「真田十勇士」も有名ですね。
真田幸村に仕えた10人の勇士です。実伝は不明ですが名前だけご紹介。

●猿飛佐助 ●霧隠才蔵 ●三好清海入道 ●三好伊三入道 ●穴山小介
●海野六郎 ●筧十蔵 ●根津甚八 ●望月六郎 ●由利鎌之介


■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「引両」よみ→ひきりょう

 足利将軍家の代表紋でもある引両紋は、横、竪に線を引いたシンプルな紋です。
大将の所在を示した陣幕には多色の布を横に縫い合わせたものが使用されて
いましたが、のちにそれを円形に切り取りだした物を引両と呼びました。

三浦氏の幕は黄・紫・紅の三色に染め分けられており、そこから「三つ引両」紋
に転じたといわれています。

引両の「両」は古来より「龍」で、中国の周易からでていると考えられています。
横に一線を描いて龍にみたてたようです。シンプルでありながら武家らしい紋
だったのですね。

「二つ引両」は足利将軍家の他に一門である今川氏・吉良氏・畠山氏などが使用。
功のあった武将たちにも二つ引両紋が下賜されました。

戦国武将ではありませんが、新田義貞の「一つ引両」は「大中黒」とも呼ばれ
有名です。新田氏の一門であった里見氏、山名氏も「一つ引両」を使用して
いましたが、新田義貞が足利尊氏に敗れ、足利氏に従属した時に「二つ引両」に
変更されたそうです。

奥州の伊達家は今では竹に雀の「仙台笹」が有名ですが、本来は源頼朝から
賜わったと伝えられている「竪三つ引両」だそうですよ。

   各引両紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 1500年〜1550年頃の「合戦」を見ています。
今月は武田信虎(信玄のお父さん)の合戦を2つご紹介します。

●「飯田河原の戦い」(1521年10月 山梨県)
  武田信虎 VS 福島正成(今川方)

 それまでの石和(いさわ)館から躑躅ヶ崎(つつじがさき・現在の甲府)へ
国府を移し、城下町建設中だったところへ、駿河の今川氏の重臣:福島正成が
大軍をもって甲州に攻めてきました。まだ防御設備が完全でない為、信虎は
甲府の西側を流れる荒川を防御線とし、荒川の飯田河原で激しい戦いが
繰り広げられました。双方に多数の犠牲者を出し、福島勢はいったん後退します。
これを飯田河原の戦いといいます。

●「上条河原の戦い」(1521年11月 山梨県)
  武田信虎 VS 福島正成(今川方)

いったん後退した福島勢が再び攻めてきたのが飯田河原の上流の上条河原でした。
この戦いでは信虎が圧勝。福島勢は多くの犠牲者を出して駿河へ撤退しました。

これ以後、信虎は甲府の建設と国内の統一に務めることができました。

(この合戦中に武田晴信(信玄)が生まれています。)

■■
■■ 【5】お知らせ………………………………

   「ジャパンネット銀行取扱開始」

 お支払いにジャパンネット銀行をご利用いただけるようになりました。
これに伴い、前払いの仕組を5月1日(本日)より変更いたします。
詳細はホームページでご案内しております。

 http://www.aduchimomoyama.com/iroha.htm

   「ミニ兜一部製造休止」

 諸事情のため、★直江兼継★と★山中鹿之介★のミニ兜の製造を
一時休止いたします。大変申し訳ございません。
在庫がなくなり次第販売をいったん終了させていただきます。
 現在個数は ・直江兼継・・・2個 ・山中鹿之介・・・1個 です。

 http://www.aduchimomoyama.com/s_16kabuto.htm

ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。 

…………………………………………………………………………………
今月は少々長くなってしまいました。お疲れ様でした。
それでは、よいゴールデンウィークをお過ごし下さいませ。
最後までお読みくださりありがとうございました。


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「引両」
丸に一つ引 丸に二つ引 丸に三つ引 新田一つ引
足利二つ引 三浦三つ引 丸に竪三つ引
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    安土桃山通信 6月号   2004/06/01
………………………………………………………………VOL.29

 いつもご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
明日(6/2)のNHK「その時歴史が動いた」(PM9:15〜)は
徳川家康の「伊賀越え」がテーマですよ。楽しみですね。


■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「早口言葉」
【2】今月の・・・人?  「武田二十四将」その1
【3】今月の家紋     「扇紋」
【4】できごと      「長森原の戦い」
【5】お知らせ
   ・ミニ兜に新ラインナップ「真田幸村」「石田三成」
   ・着払いができるようになりました。

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「早口言葉」

 「ぶぐばぐぶぐばぐみぶぐばぐあわせてぶぐばぐむぶぐばぐ」
 
漢字に直すと・・・

 「武具馬具武具馬具三武具馬具合わせて武具馬具六武具馬具」

"いろは"が考えたわけではありません。
戦国時代からあったかどうかは不明ですが、武具や馬具と聞くと
触覚が動いてしまったので紹介してみました。
何か早口言葉を求められたら戦国ファンとしてはこれをスラスラ
言ってみたいものです。(そんな時は来ないかも・・・)

俳優養成所のテキストなどにも掲載されている早口言葉だそうですよ。

      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第九回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。
今月から「武田二十四将」を何回かに分けてご紹介したいと思います。

「武田二十四将」その1

 一般的に「武田二十四将」は甲斐の名将武田信玄の率いる"武田軍団"の
中核として活躍した猛将・剛将たちの呼称として有名ですが、
その顔ぶれは信玄時代の武将群に限定されず、父・信虎、子・勝頼時代に
活躍した武将にまで及んでいます。
「武田二十四将図」という掛け軸も多種描かれていますが、そこに描かれ
ている武将も実に様々で固定の24名ではありません。

【 武田二十四将図に描かれる武将 】

★・・・武田神社古城址蔵
○・・・恵林寺本坊蔵
◆・・・高野山成慶院蔵
△・・・「信玄公まつり」に出陣する二十四将

武田信玄      ○ ◆
武田勝頼      ○ ◆
武田信繁    ★     △
武田信綱    ★ ○ ◆ △
一条信竜    ★     △
穴山信君    ★ ○ ◆ △
板垣信方    ★ ○   △
甘利虎泰    ★     △
馬場信春    ★ ○ ◆ △
飯富虎昌    ★     △
山県昌景    ★ ○ ◆ △
高坂昌信    ★ ○ ◆ △
真田幸隆          △
栗原信盛      ○
三枝守友    ★ ○ ◆ △
小山田信茂   ★   ◆ △
内藤昌豊    ★ ○ ◆ △
秋山信友    ★ ○ ◆ △
小原広勝      ○
原虎胤     ★ ○ ◆ △
土屋昌次    ★ ○ ◆ △
甘利昌忠      ○ ◆
真田信綱    ★ ○ ◆ △
小幡虎盛    ★   ◆ △
多田満頼    ★ ○ ◆ △
原昌胤     ★ ○ ◆ △
真田幸連      ○ ◆
曽根昌清      ○ ◆
武藤昌幸(真田)  ○ ◆
小幡昌盛    ★   ◆ △
横田高松    ★ ○ ◆ △
山本晴幸(勘助)★ ○ ◆ △

いろいろですね。信玄、勝頼を除いて30名います。
「武田二十四将って誰?」と聞かれたら、少なくとも30名は
答えないといけないのかもしれません。(泣)
来月は各武将を少し詳しくみてゆきたいと思います。

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「扇」よみ→おうぎ

 扇は末広といい、発展する意味があることから文様として流行していた
ものが縁起がよいとして一般でも家紋として使われるようになりました。

 扇といえば「佐竹氏」の「五本骨に月丸(五本骨に日の丸扇とも)」が
有名です。扇紋はこの佐竹氏が一番最初に使用したと伝えられています。
そのいわれは、源頼朝の奥州征伐に加わっていた常陸源氏の佐竹氏も
源氏のシンボルである白旗を使用しており、他の源氏嫡流と区別するために
頼朝本人より月を描いた扇を与えられ、旗につけるように命じられた
ことからだそうです。

(のぼり旗が大好きな"いろは"は、しみじみと旗と家紋の密接な関係に
 感動です。他の源氏嫡流の氏は頼朝より何を与えられたのか
 ちょっと興味があるところです。わかったら報告しますね。)

似たものに、扇の骨だけの「扇骨(おうぎぼね)紋」、逆に紙だけの
「地紙(ぢがみ)紋」という種類もあります。
また、檜の薄片を並べて糸で綴った扇で、公家にもちいられる「檜扇
(ひおうぎ)紋」もあります。

「檜扇紋」は上野国箕輪城主長野氏も用いています。
また阿波の戦国大名十河氏は「公饗に檜扇」という紋を使用しています。


   佐竹扇、扇骨紋、檜扇等、家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm


■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

  1500年〜1550年頃の「合戦」を見ています。
今月は長尾為景(上杉謙信のお父さん)の合戦をご紹介します。

「長森原の戦い」(1510年6月 新潟県六日町)
 山内上杉顕定 VS 長尾為景

 越後の実質的支配権をにぎりつつあった長尾為景は上杉定実を擁して、
定実の兄である守護上杉房能を倒します。
弟を殺された関東管領上杉顕定は八千余騎をひきつれ越後に侵入し
次々と要所を占領、定実と為景は春日山や府中も放棄していったん越中に
逃げます。しかし、顕定の政治は善政とはいえず、顕定の養子の憲房が椎谷
を攻めて敗退し、長尾房景が顕定を裏切って為景につくと、府中に一揆が
起こって顕定を追い出してしまします。

顕定が上野に戻ろうとした長森原の戦いで、顕定は高梨政盛(為景方)
の軍に討ち取られました。

この戦いは、長尾為景が関東管領の上杉顕定を倒し、越後を戦国時代に
突入させた一戦でもあります。


■■
■■ 【5】お知らせ………………………………

   ・ミニ兜に新ラインナップ「真田幸村」「石田三成」登場です。
    是非ご覧くださいませ。
    
    ミニ兜のページ
    http://www.aduchimomoyama.com/s_16kabuto.htm
   
   ・商品代金のお支払いに着払い(ヤマトコレクトサービス)も
    ご利用になれるようになりました。
   (先月よりジャパンネット銀行へのお振込みも可能となっています。)
…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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「扇」紋
佐竹扇 地紙紋 扇骨紋 檜扇紋
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    安土桃山通信 7月号   2004/07/01
………………………………………………………………VOL.30

ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。

7月7日(水曜日)PM9:15〜NHK「その時歴史が動いた」のテーマは
「"関白"秀吉VS"源氏長者"家康 "姓"をめぐる知られざる攻防」です。
楽しみですね。

パソコンが壊れてしまい新しくしました。
日本語入力ソフトの学習効果がまだないので
入力時に変な漢字変換がされビックリします。

「真田紐の・・・」と入力しようと思ったら「真田干物」(←美味しいのか?)
「江戸川区・・・」と入力しようと思ったら「江戸が沸く」(←熱いのか?)
「上杉謙信・・・」と入力しようと思ったら「植えすぎ検診」(←農業検査?)
「直江兼続・・・」と入力しようと思ったら「尚江加熱具」(何の道具?)
「斉藤道三・・・」と入力しようと思ったら「斉藤動産」(流動資産か?)

入力がはかどらないのですが、新しいPCならではのひそかな楽しみです。


■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見「軍神」
【2】今月の・・・人? 「武田二十四将」その2
【3】今月の家紋    「巴」
【4】できごと     「北条氏綱の戦い 4つ」
【5】お知らせ 「黒田官兵衛ファンの皆様お待たせいたしました!」
        「ホームページ2周年」


■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「軍神」

 内容が目次「【3】今月の家紋」と関連があるため、
「【3】今月の家紋」の後ろに掲載します。↓

      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。
先月から「武田二十四将」を何回かに分けてご紹介しています。

「武田二十四将」その2

先月は武田二十四将は描かれた時代や絵師によってメンバーが違うお話
でした。今月からは各武将を少しずつご紹介。

★★★「あ」ではじまる武将が3人!

(あ)穴山信君(あなやまのぶきみ)・・・武田親族衆の筆頭、母は信玄の姉、
      妻は信玄の娘なので、信玄は叔父であり、信玄の義父でもある。
      文武に秀でた文化人でもあり領民からは名君といわれました。
      後年武田氏を離れ徳川家康に降る。

(あ)甘利虎泰(あまりとらやす)・・・甘利氏は代々武田氏の族臣で、
      虎泰は武田家最高の政治機構とされた「識(しき)」の任に
      ありました。合戦時は先陣をつとめた剛の者としても
      知られています。天文17年の上田原合戦で討死。

(あ)秋山信友(あきやまのぶとも)・・・秋山氏は甲斐源氏の流れをくむ
      名族。信友は信州伊那地方の飯田城代として織田信長を牽制
      しました。西上作戦では岩村城を落城させますが、
      長篠の敗戦後に捕らえられ処刑されました。

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ※(あ)甘利昌忠・・・甘利虎泰の嫡男。信玄時代後半に活躍し
           父虎泰よりも二十四将図に描かれる回数が多いです。

★武田二十四将を暗記しようとお考えの方、
 「あ」からはじまる苗字は3つです!

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………………………

   「巴」よみ→ともえ

 巴は武具(弓手に着して弦から心臓を守る防具)の鞆(とも)に似ていること
から鞆絵(ともえ)となり、のちに水が渦巻いているのに似通っているため
「巴」の字があてられたそうです。

水に通じていることから防火のまじないとされ、屋根瓦の文様にも使用
されるようになりました。

また、巴紋が弓矢の神である八幡宮の神紋とみなされるようになり
全国各地の八幡宮で使用され、神力をうけようとした多くの武家も
これを家紋として使用しました。

戦国時代では長尾家や小早川家が巴紋を使用しています。

時代は源平の頃にさかのぼりますが、木曽義仲の愛妾「巴御前」は
この巴紋を愛用していたそうです。
(愛用していたので巴御前とよばれていたのかもしれません。)

巴紋は右に尾が流れる「左巴」、左に尾が流れる「右巴」と渦巻きの
向きが紋によって違います。また、尾が長い巴紋を「尾長巴」や
「長尾巴」などといいます。上杉謙信の旧姓である長尾姓に通じるものを
感じてしまうのは"いろは"だけでしょうか・・・
その長尾家の家紋は「九曜巴」です。


   各種巴紋を下記に用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm


■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「軍神」

 八幡宮の神力をうけようとした多くの武家が巴紋を使用したように、
戦国武将が合戦に際してすがった神様や仏様が他にもいました。

源氏嫡流の多くの武家は八幡神を軍神として祭っていました。
これは、源義家が石清水(いわしみず)八幡宮の社前で元服して以降からだ
そうです。

八幡神をはじめとし、日本古来の軍神には

 ・八幡神・・・応神天皇を主座とし、弓矢や武道の神様。
      平安時代の神仏混淆の結果、菩薩号をえて
      「八幡大菩薩」とも呼ばれるようになりました。
 ・須佐雄命(すさのおのみこと)・・・天照大神の弟。八岐大蛇
           (やまたのおろち)を退治したことでも有名
 ・日本武尊(やまとたける)・・・景行天皇の皇子。東国の平定に活躍。
 ・経津主命(ふつぬしのみこと)・・・刀剣の神様(香取神宮)

等がいます。一方、仏教の仏様、仏教上の神様では

 ・不動明王・・・右手に悪を倒すための剣、左手に衆生を救うための
       羂索(けんさく)を持っています。
 ・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・・・怨霊調伏、戦勝祈願の修法の本尊
 ・摩利支天(まりしてん)・・・日本では武士の本尊として信仰されたそうです。
       武田信玄ら数多くの戦国武将から根強く信仰されて
       合戦前の願文の中などにも織り込まれていたそうです。

上杉謙信が毘沙門天を信仰していたことは有名です。
武田信玄と戦った川中島の合戦を軍神からみると「毘沙門天 VS 摩利支天」
といってもよいかもしれません。

※「軍神」は戦国時代ぐらいまでは「いくさがみ」と読んでいたようです。
     
■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………………………

   1500年〜1550年頃の「合戦」を見ています。
今月は北条氏綱(氏康のお父さん)の合戦をご紹介します。

●「高輪台の戦い」(1524年 東京都港区高輪)
  北条氏綱 VS 扇谷上杉朝興
 
  武蔵へ進軍した氏綱軍と江戸城を居城としている扇谷上杉朝興軍が
  高輪台で合戦。上杉軍は初戦で敗北し、河越城へおちのびました。
  
●「猿橋の戦い」(1524年 山梨県大月市)
  北条氏綱 VS 武田信虎(信玄のお父さん)

  江戸城を攻落させた氏綱は、さらに甲斐の都留郡へと兵を進めたので
  武田信虎は大軍をもって猿橋(大月市)まで進軍。両軍決戦はせず、
  何度かの小競り合いでした。氏綱軍は順次後退。

●「岩付城の戦い」(1525年 埼玉県岩槻市)
  北条氏綱 VS 太田資頼

  江戸城をおびやかす岩付城を攻撃。城主太田資頼は敗れて松山城に後退。
(しかし、越後の長尾為景の援軍により岩付城はすぐに奪回されてしまいます。)

●「鎌倉の戦い」(1526年 神奈川県鎌倉市)
  北条氏綱 VS 里見実堯

  詳細はわかっていないそうですが、反北条の立場であった里見実堯は
  古河公方足利高基の弟義明と組み、数百艘の軍船をもって海路で鎌倉に
  押し寄せ、里見勢は鶴岡八幡宮などを打ち壊して退去しました。
  特に決戦にはいたらなかったそうです。
 (里見氏は南房総から東京湾を横断したのですね。)

成長期の北条氏の忙しさがみえてくるようですね。


■■
■■ 【5】お知らせ………………………………………………………………

「黒田官兵衛ファンの皆様お待たせいたしました!」
 
 ●ミニ色紙シリーズに黒田如水(官兵衛)の「水五訓」が
  あらたに加わりました。

  1、自ら活動して他を動かしむるは水なり
  1、常に己の進路を求めて止まざるは水なり
  1、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり・・・(以下省略)

  晩年、如水(じょすい:水の如く)と号した黒田官兵衛の水の
  とらえかたが素晴らしいですね。自らも人生訓としていたと
  いわれています。

 ミニ色紙のページ
 http://www.aduchimomoyama.com/s_15shikishi.htm

「ホームページ2周年」

 ●水軍風ミニ団扇プレゼント実施中。

 お蔭様で気づくと安土桃山通販ホームページは6月で2周年を
迎えることができました。これもひとえに今日までささえて
くださっている皆様のおかげでございます。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 イベントのページ
 http://www.aduchimomoyama.com/gs_4event.htm

…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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「巴」紋
右二つ巴 右三つ巴 左三つ巴 尾長右三つ巴 九曜巴
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    安土桃山通信 8月号   2004/08/01
………………………………………………………………VOL.31

ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。

2年後(再来年)のNHK大河ドラマが「山内一豊の妻」に
決定したと知り、今から楽しみでなりません。
(山内一豊・・・信長・秀吉・家康に仕えた戦国武将
 最終的には土佐20万石余を受け高知城主)

みんなで見ましょう!(再来年ですが・・・)
視聴率が上がれば、NHKもたくさん戦国時代を扱って
くれるようになるかもしれません。
せめて1年おきに大河ドラマで戦国ものを扱って欲しいなぁと
常々思っています。
NHKの関係者の方、どうぞよろしくお願い申し上げます。


■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「本多忠勝」
【2】今月の・・・人?  「武田二十四将」その3
【3】今月の家紋     「面白(?)家紋特集」
【4】できごと      「安芸郡山城の戦い」「赤穴城の戦い」
【5】お知らせ      「新商品」他
【6】おまけ       「変換誤字第2弾」

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「本多忠勝」

「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」

との本多忠勝への賛辞は有名です。「徳川家康は出きすぎたものを
2つ持っている。ひとつは輸入物の贅沢なヤクの飾り毛、
もうひとつは本多平八郎忠勝という家臣だ」というものです。
この称賛は誰が言い出したのだろうと以前から思っていましたら、
武田信玄の近習小杉右近助という人でした。

上洛をめざした武田信玄軍と徳川家康軍とがぶつかった
三方が原の戦いの前哨戦とも言われる「一言坂の戦い」で
見事な殿(しんがり)軍をつとめた本多忠勝を
「敵ながら天晴れな武者振りなり」とその戦いぶりを評し
「家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八」
と高札を立てたそうです。

武田軍から誉められたのですね。すごいですね。
生死をかけた戦いで、敵を誉めるという行為もまたすごいことだと
思います。以前この言葉には徳川家康に対するちょっとした皮肉も
混じっているのかなと思っていましたが、素直に反省しました。
人間の素晴らしさを改めて知ったような気がします。

また、本多忠勝は生涯合戦中に刀傷をうけたことがないことでも有名です。
その忠勝が初めて刀傷をおったのが、隠居後、好きな彫刻をおこなって
いたときに自分で小指を切ってしまった時だそうです。
眼病をわずらっていたとはいえ、本人はどれだけショックだったでしょうか。
実際、その傷を見て自分の死期をさとり、遺書を残したといわれています。
彫刻刀で指を切ってしまった忠勝のそんな姿を想うと切ないですね。

      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第二回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。

「武田二十四将」その3

★★★「い」ではじまる武将は2人!

(い)板垣信方(いたがきのぶかた)・・・武田氏の族臣、信玄の傅役。
     甘利氏とともに武田家最高の政治機構とされた「識(しき)」
     の任にありました。信玄の唯一の敗戦といわれる「上田原の
     戦い」で戦死。
      
(い)一条信竜(いちじょうのぶたつ)・・・武田信玄の異母弟。
     騎馬百騎を預かり、副大将格で信玄を補佐。設楽が原の戦い
     でも味方が退くのを確認するまでは動かなかったという
     豪胆な武将。武田家滅亡後、捕らえられて処刑される。

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

★武田二十四将を暗記しようとお考えの方、
 「い」からはじまる苗字は2つです!

※武田二十四将は描かれた時代や絵師によってメンバーが違いますので、
 武田神社古城址蔵版を参考に書いています。

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

  
 面白(?)家紋特集

  家紋の本などを眺めていると「えっこれも家紋?こんなのもあるんだぁ」
 と驚く意匠の家紋に出会うことがあります。今月はそんな家紋をご紹介。

   ※各家紋の図柄を下記URLに用意しましたのでご覧になりながらどうぞ。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm

 ●「織田瓜に笄(こうがい)」
     織田木瓜に笄が突き刺さっている家紋です。何家が使用しているか
     がわからないのですが、何かこの家と織田家との重たい歴史を
     感じます。

 ●「細輪に覗(のぞ)き木瓜」
     華美だった元禄(江戸時代)以降、地味さがもとめられこのような
     紋もできたそうです。チラっと木瓜が覗いているところが控えめ?

 ●「裏葵」 これも地味さを追求したものかもしれません。
     がスペードのエースのようにも見えます。

 ●「木瓜崩し」
     なにか格闘技の技のような名前ですが、横木瓜紋が崩れてます。

 ●「乱れ桐」・・・乱れてます。

 ●「踊り桐」・・・踊ってます。
 ●「踊り蟹」・・・踊り桐が踊っているように見えなかった方はこの
     「踊り蟹」紋で実感して下さいませ。蟹が踊ってます。
      明るい家庭が築けそうです。


  江戸時代になると町人の経済力がますます強くなり、苗字を許され
 時には武士が町人に紋を与えることもあったそうです。紋使用の規定などは
 ゆるみ、将軍家や大名の紋に手を出さない限り庶民が家紋を使っても
 とがめられなくなりました。
 西洋は貴族しか紋章を使わなかったのと対照的ですね。
 日本の家紋には血筋をあらわすだけでなく、庶民のさまざまな"思い"も、
 たくさんつまっているのですねぇ。
 その紋を現在も受け継ついでいる方がいらっしゃるのかと思うと、
 面白がってばかりではいけませんが、歴史って身近だなぁと改めて思います。
   

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 戦国時代の各地の動向(1500年〜1550年頃)を見ています。
今月は中国地方の戦いを2つご紹介します。


●「安芸郡山城の戦い」(1540年 広島県吉田町)
  毛利元就 VS 尼子晴久

 先遣隊が備後路で敗退していた尼子晴久は、石見路を通って
総勢3万を率い安芸に侵入します。晴久にとって戦況は思わしくなく、
自国の反乱鎮圧のため兵の一部を戻すなどしてさらに戦力は低下。
郡山城に迫るも、青山山麓の土取場で敗北。さらに、毛利方の援軍に
大内救援軍1万が到着し、尼子勢は自国に帰りました。

●「赤穴(あかな)城の戦い」(1542年 島根県赤来町)
  大内義隆 VS 赤穴光清(尼子方)

 尼子晴久が、毛利元就を攻めて大敗すると大内義隆はこれを機に
尼子討伐を企て、出雲侵入のため国境の拠点赤穴城を攻めます。
功を急いだ熊谷直続は城将・赤穴光清に討ち取られます。
毛利元就や陶隆房も策をねりますが、光清の抗戦で一時後退。
ところが、勝ち誇った光清の喉元にたまたま射られた矢があたり
あえなく戦死。城側は和議を申し入れ赤穴城を明け渡しました。

この後尼子氏は1563年の月山富田城の戦いで滅亡してしまいます。


■■
■■ 【5】お知らせ……………………………………………………

★新製品・・・よりどり3枚からご注文OKの絵葉書を新発売。
   織田信長像、豊臣秀吉像、徳川家康像、川中島の戦、桶狭間の戦
   本能寺焼討之図、加藤清正、侍、茶の湯、の全9種。
   武器や武具をちりばめた「侍」が人気です。

   ばら売り絵葉書
   http://www.aduchimomoyama.com/s_17hagaki_2.htm

★家紋カッティングシール・・・桔梗が水色になりました。

   明智ファンの皆様お待たせいたしました。
   今まで青色対応しておりました桔梗シールを水色に
   変更しました。はやり水色がいいですねぇ。

   家紋シール
   http://www.aduchimomoyama.com/s_4cutting.htm

★Tシャツサンプル品をお買い得に処分

   今夏もあきらめモードのTシャツ新製品。
   お待ちのお客様には大変申し訳ございません。
   わけありで商品化できなかったサンプル品でもよい方に
   特価で処分いたします。数がどれも1〜3枚程度ですので
   先着順とさせていただきます。

   お買い得品
   http://www.aduchimomoyama.com/gs_4event.htm 

■■
■■ 【6】おまけ………………………………………………………

 先月号冒頭でパソコン入力時の変換誤字のお話をしましたら
ご好評でしたので、あれから新たに発見された誤字をご報告します。

 家康グッズという意味で
 「家康物」と入力しようと思ったら→「家安物」(欠陥住宅?)
 「赤穴光清」と入力しようと思ったら→「赤穴三月よ」(おめでたか?)
 「月山富田城」と入力しようと思ったら→「合算と太政」(う〜ん?)
「国盗り物語」と入力しようと思ったら→「国鳥物語」
                  ※日本の国鳥は雉(キジ)です。

…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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面白(?)家紋特集
織田瓜に笄 細輪に覗き木瓜 裏 葵 木瓜崩し
乱れ桐 踊り桐 踊り蟹
2004年9月号                       バックナンバー目次に戻る

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    安土桃山通信 9月号   2004/09/01
………………………………………………………………VOL.32

ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
最近この前書き欄の恒例になっておりますNHK総合の
「その時歴史が動いた」の放送予定ですが、

9月1日(水)9:15「武田信玄 地を拓き、水を治める」
9月8日(水)9:15「信長と道三 改革者を生んだ非情の絆」

です。2週連続で見逃せませんね。

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「サッカーチーム名と戦国」
【2】今月の・・・人?  「武田二十四将 その4」
【3】今月の家紋     「家紋の冠表現」
【4】できごと      「鉄砲伝来」
【5】お知らせ「ミニ兜販売終了」「システム変更について」他


■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「サッカーチーム名と戦国」

"いろは"はスポーツ観戦はあまりしませんが、サッカーを見てみようかなと
思わせる発見がありました!それは、各チームの名前の由来。


●サンフレッチェ広島●
 サンフレッチェ(SANFRECCE)は、日本語とイタリア語の複合語で、
三本の矢を意味するそうです。広島にゆかりの深い戦国武将:毛利元就の
「三本の矢」の故事からとっているのですね。結束がかたそう。

●ヴァンフォーレ甲府●
 ヴァンフォーレの「VENT」が「風」、「FORET」が「林」というフランス語
の組み合わせで「疾きこと風の如く、静かなること林のごとく・・・」で知られる
戦国武将:武田信玄の旗印「風林火山」に基づいているそうです。
もう1チーム「火山」が欲しいですね。

↓家紋がらみのチーム名もありました。

●水戸ホーリーホック●
 ホーリーホック(hollyhock)は英語で「立葵」の意味。徳川御三家の水戸
藩の家紋である葵から引用したそうです。チームエンブレムにも
三つ葉葵が使用されているそうですよ。

●グルージャ盛岡●
 グルージャは「鶴」を意味するスペイン語。南部藩の家紋「向い鶴」
に結びつくことと、盛岡名物「じゃじゃ麺」を連想させる響きがあることから
命名されたそうです。チームエンブレムも向い鶴を使用だそうです。


ちょうど先月南部鶴の家紋はんこを発売開始しました。グルージャファンの
方もよかったらご利用ください。
http://www.aduchimomoyama.com/s_3hanko.htm

歴史とは関係ないと思っている世界でも、歴史や伝統をを大切にして
くれている姿勢を垣間見ると本当に嬉しくなってしまいます。
もっと視野を広く持たなくてはと反省です。情報提供くださった
Y・K様、どうもありがとうございました。

      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?…………………………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。

「武田二十四将」その4

★★★先月までのちょっと復習

「あ」・・・穴山・甘利・秋山 3人
「い」・・・板垣・一条    2人

★★★「お」ではじまる武将は4人!

(お)飯富虎昌(おぶとらまさ)・・・「武田の赤備え騎馬軍団」の首領。
     武田家譜代の重臣で「甲山の猛虎」と恐れられる豪勇でしたが
     信玄の息子:義信の謀反事件にかかわって処刑される。

(お)小山田信茂(おやまだのぶしげ)・・・武田親族衆、信玄と従兄弟。
     岩殿山城主。武田家滅亡直前に離反。織田側では主家を裏切った
     不忠者として捕らえられ切腹しました。
     
(お)小幡虎盛(おばたとらもり)・・・8歳の頃に父親が武田に被官し
     元服の時に小幡氏を継ぐ。「武田の鬼虎」の異名をもつ剛将。
     「よくみのほとをしれ」(よく身の程を知れ)の遺言でも有名。

(お)小幡昌盛(おばたまさもり)・・・虎盛の嫡男。旗本足軽大将。
     「甲陽軍鑑」を集大成した軍学者小幡景憲の父でもある。
     武田家滅亡の5日前に病死。

やっと9人まできました。

※武田二十四将は描かれた時代や絵師によってメンバーが違いますので、
 武田神社古城址蔵版を参考に書いています。

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

  家紋の冠表現 

 家紋を鑑賞するときに「円形志向」を念頭に入れて見るのも面白いもの
です。おさまりがよく、見た目にも美しい丸に近づける為の工夫が表現
などにもうかがえます。例えば、

 ●鶴を丸に近づけようとすると森蘭丸の家紋「森鶴の丸」になります。
 ●鶴2羽を丸に近づけようとすると南部家の「南部鶴の丸」になります。

 南部鶴の丸は「向かい(対かい)鶴の丸」とも呼ばれ、
「向かい」とは2つを"むかいあわせにする"紋に冠される表現です。

一方、似たような表現に「抱き」があります。これは2つを"抱き合わせ"に
する紋に冠されます。●例:抱き茗荷(だきみょうが)
抱き合わせた片方の位置を逆にすると「入れ違い」という冠表現となります。
●例:入れ違い茗荷(いれちがいみょうが)

また、交差させて円形に近づけようとしたものには「違い(ちがい)」という
表現がつきます。

 ●鷹の羽を交差させたもの→「違い鷹の羽」
 ●棒を交差させたもの→「違い棒」←丹羽長秀の紋ですね。
   バツ印のようですが、棒が違って(交差して)いたのですね。
 ●輪を交差させたもの→「輪違い」←脇坂安治の家紋。
   大河ドラマなどにも「ワチガイ屋」という名前の商人がでてきたり
   します。たいがい暖簾(のれん)は輪違い紋ですね。

その他にも横に並べた手法には「並び」が冠されます。例:●並び鷹の羽、
縦に重ねたものは「重ね」と冠されます。とくに3つを重ねると「三階」と
表現します。●例:三階松、三階笠

まだまだ冠表現はたくさんありますが、折にふれご紹介したいと思います。
円形志向の究極の手段は外側に丸をつける(丸の中に入れてしまう)ことですね。


   参考家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm

  

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 安土桃山時代(織豊時代)以前の戦国時代にあえてスポットをあてて
応仁の乱から各地の動向1550年頃までをみてきました。
今月からは文化面のできごとをご紹介。

●「鉄砲伝来」1543年・・・種子島に漂着したポルトガル人によって
     鉄砲が伝わったことは有名です。最近では異説もあり
     東南アジアで活動していた倭寇(わこう)から伝わった説も
     あるそうです。
      
     鉄砲が合戦に本格的に使用されるのは、
     1558年以降の永禄年間からといわれています。
     戦国時代の伝来から10年以上をかけ大量生産のしくみが構築され、
     安土桃山時代の実戦への使用へひきつがれてゆきます。

 (※鉄砲伝来当初から急に合戦が変わってしまったわけではないのですね。)


■■
■■ 【5】お知らせ……………………………………………………

★「ミニ兜販売終了」諸般の事情によりミニ兜シリーズは在庫限りで販売を
終了させていただくことになりました。大変申し訳ございません。
ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

  残りわずかですがミニ兜のページ↓
  http://www.aduchimomoyama.com/s_16kabuto.htm

★「新商品」家紋はんこ・・・南部鶴・桔梗・巴紋が新登場
  
  http://www.aduchimomoyama.com/s_3hanko.htm

★システム変更のため9月28日〜9月30日まで出荷業務をお休みします。
ご迷惑をおかけいたしますがどうぞよろしくお願いいたします


…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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ご意見・ご感想等は下記メールアドレスへ
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2004/9月のメルマガ
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家紋の表現
森鶴の 南部鶴の 抱き茗荷 入れ違い
茗荷
違い
違い鷹の羽 並び鷹の羽 三階 三階
2004年10月号                      バックナンバー目次に戻る

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    安土桃山通信 10月号   2004/10/01
………………………………………………………………VOL.33

ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。

9月29日にホームページにお買い物カゴを導入しました。
システム切り替え時の28日に一時ホームページが表示されない
障害が発生し、皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました。
この場を借りてお詫び申し上げます。
また、27日夜〜28日午前中のメールも迷子になってしまった
ようでございます。この期間にご注文や"いろは"にメールを
くださった方でいまだお返事が届かない方がいらっしゃいましたら、
誠に恐縮ではございますが再送していただけますよう、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

新トップページ http://www.aduchimomoyama.com/

(以前と画面が変わらない場合はブラウザーの「更新」
 ボタンをクリックして下さい。)

今月のNHK「その時歴史が動いた」の放送予定には
戦国関連がありませんでした。(ガッカリです)


■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「洛中洛外図屏風が公開」
【2】今月の・・・人?  「武田二十四将 その5」
【3】今月の家紋     「八咫烏(やたがらす)」
【4】できごと      「雪舟」
【5】お知らせ 新商品他


■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「洛中洛外図屏風が公開」

 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で、現存する洛中洛外図屏風の
中では一番古い歴博甲本(旧三条家本・町田家本)が公開されます。
でも開催期間がとっても短いので注意です。なんとか"いろは"も見に行きたいと
思います。国立歴史民俗博物館は佐倉城址公園にもなっていますので
お城めぐり(江戸時代:天守閣等なし)も同時にできちゃいますね。

開催期間: 2004年10月26日(火)〜11月7日(日)
開催場所: 国立歴史民俗博物館 第2展示室

歴博公式ページ
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index87/index.html

      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第二回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。

「武田二十四将」その5

★★★先月までのちょっと復習

「あ」・・・穴山、甘利、秋山         3人
「い」・・・板垣、一条            2人
「お」・・・飯富、小山田、小幡虎盛・昌盛親子 4人

★★★「た」ではじまる武将は3人!

(た)武田信繁(たけだのぶしげ)・・・信虎の二男・信玄の同母弟。
     典厩(てんきゅう)信繁が通り名になっています。つねに
     武田副大将として活躍。第4回目の川中島の合戦で戦死しました。

     ※余談ですが、真田幸村の正式な名前は真田信繁です。父・昌幸が
      典厩信繁の武勇に深く感じ入り幸村に命名したといわれています。


(た)武田信廉(たけだのぶかど)・・・信虎の三男・信玄の同母弟。
     信玄の没後に剃髪して逍遥軒(しょうようけん)と号しました。
     画家としても優れていた文化人。信玄によく似ていたといわれ
     数々の合戦で影武者をつとめていたと伝わっています。

     ※信玄が影武者を実際につかったかどうかは不明です。

(た)多田満頼(ただみつより)・・・伝説的な武勇が多く甲陽軍鑑では
     「甲陽の五名臣」にあげられています。川中島の合戦直前までは
     足軽隊将として活躍しています。史料にとぼしく村上義清の
     臣だったとも、美濃出身ともいわれています。川中島合戦中に病死。

     ※甲陽軍鑑(こうようぐんかん)とは20巻からなる甲州流軍学書。
      信玄・勝頼2代の事蹟や軍法を中心に書かれ、
      江戸初期に完成しました。
    
やっと12人、半分です。

※武田二十四将は描かれた時代や絵師によってメンバーが違いますので、
 武田神社古城址蔵版を参考に書いています。 


■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「八咫烏」よみ→やたがらす

 烏紋は一般的に鈴木氏の代表紋です。その中でも八咫烏は紀伊雑賀城主
:鈴木佐大夫や孫市の紋としてもファンには知られています。三本足烏とも
いわれます。

(雑賀衆は鉄砲集団として知られています。織田信長を苦しめ、頭に領主を
 いただかない中世的な自治体制をそなえた集団で戦国時代では珍しい
 組織といってよいと思います。
 なかなか一言で言い表しにくいのですが、この雑賀衆を平凡社新書
「戦国15大合戦の真相」(鈴木眞哉氏:著)の第6章の中で
 詳しく解説されているのを見つけました。オススメです。
 著者も鈴木さんなんですね。)
  
さて、八咫烏は中国古代の説話で太陽の中にいるという3本足の赤色の烏の
日本での名称です。日本の記紀伝承では東征中の神武天皇が、熊野から
大和に入る際に賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が八咫烏に化身して
先導したと伝わっています。

戦国ファンの"いろは"は雑賀衆の切り口でこの八咫烏に興味をもったのですが、
最近世界遺産に登録された熊野古道が今話題になっています。熊野大権現の使者
ともいわれる八咫烏は、熊野烏として今後テレビなどに登場してくる機会が
増えるかもしれませんね。要チェックです。

八咫烏の「咫(あた)」は昔の長さの単位で、手のひらの下端から中指の
先端ぐらいまでの長さだそうです。個人差はあるかと思いますが、手のひら
8個分の大きさの烏ということになるのですね。結構大きい・・・。


   八咫烏は多種にわたって意匠が伝えられています。今回は
   商品化した三本足烏シールの家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
  

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 安土桃山時代(織豊時代)以前の戦国時代にあえてスポットをあてて
応仁の乱から各地の動向や合戦の1550年頃までをみてきました。
先月からは文化面のできごとをご紹介しています。


 水墨画で有名な禅僧画家「雪舟」。ちょうど応仁の乱が始まった
応仁元年に明にわたって約2年参禅と画業を学んでいます。
(留学してたのですね)
帰国後も大内氏の庇護をうけ山口におり、1486年(文明18年)には
水墨画の頂点といわれる「山水長巻」を完成させました。(現在国宝)

★1486年は尼子経久が月山富田城を奪回、太田道灌が謀殺された年です。

1476年ごろに大分(豊後)に画房を開き製作に没頭。
1501年「天橋立図」を描く。(現在国宝)(製作年代については異説あり)

★1501年は北条早雲の甲斐侵攻(敗北)。大内義興討伐の綸旨が幕府に
 下された年です。

1506年に逝去。雪舟が戦国(室町後期〜)を生きたことにより、この時代に
独特の山水画様式がつくりあげられ、水墨画にも新境地がひらかれたのですね。
千利休の茶の湯ばかりではないですね。


■■
■■ 【5】お知らせ 新商品他………………………………


・新商品「ミュージアムジェル」
 直接戦国グッズということではありませんが、フィギュア等の固定にとても
 便利な固定材の取り扱いを開始いたしました。再利用可能の画期的な素材。
 食玩の兜の名札などはすぐに倒れてしまうので重宝します!

 ミュージアムジェル(お役立ち品のページに掲載中)
 http://www.aduchimomoyama.com/gs_4event.htm

・お買い物カゴを導入しました。使用方法は下記のページに掲載しました。
 お買い物カゴはかえって面倒だという方にはメールでのご注文も
 受け付けております。詳細は「注文方法」のページをご覧下さいませ。

 「注文方法」のページ
 http://www.aduchimomoyama.com/order.htm

 
■■
■■ 【6】おまけ………………………………………………………

 新しくしたパソコンの入力時の変換誤字が少なくはなってきましたが、
いまだに続いています・・・。

「長篠合戦」と入力しようと思ったら→「流しの合戦」(朝の台所かな?)
「沖田総司」と入力しようと思ったら→「起きた掃除」(やはり朝?)

力が抜けて楽しいひとときです。こんなひとときも大切ですねぇ。
…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりありがとうございました。


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2004/10月号
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「八咫烏)」
2004年11月号                      バックナンバー目次に戻る

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    安土桃山通信 11月号   2004/11/01
………………………………………………………………VOL.34

ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。

「戦国武将うた合戦」と題しまして、小さなサイト(ブログ)を
つくりました。戦国武将の辞世や和歌の紹介を中心に、
戦国時代のことをコツコツ書きためてゆきたいなぁと思います。
メールマガジンと同様にご愛顧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

「戦国武将うた合戦」
 http://busyo.cocolog-nifty.com/

今月のNHK「その時歴史が動いた」は戦国物はありません。
残念・・・。11/3義経(来年の大河ドラマの予習になる?)
11/10明治維新、11/17近代歌舞伎、11/24明治維新です。
(予定ですので、番組が変更になる場合もあります。)

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「新世紀・名古屋城博」
【2】今月の・・・人?  「武田二十四将 その6」
【3】今月の家紋     「ニ頭波」
【4】できごと      「永楽銭」と「甲州金」
【5】お知らせ      「戦国武将陶人形」他


■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   「新世紀・名古屋城博」
  〜よみがえる金シャチ伝説〜

2005年日本国際博覧会にあわせ、名古屋のシンボルである「金シャチ」と
本丸御殿障壁画復元模写の展示を中心とするイベントが開催されるそうです。

●名称
 新世紀・名古屋城博 〜よみがえる金シャチ伝説〜
 http://www16.ocn.ne.jp/~meijohak/
●会期
 平成17年3月19日(土)〜6月19日(日)
 ※3月23日(水)・24日(木)の2日間、金シャチは万博参加のため展示いたしません。
●開催時間
 9:30〜17:30
 ※4月29日(金・祝)〜5月8日(日)は、9:30〜18:30
●会場
 名古屋城内

 天守閣にて、本丸御殿障壁画の復元模写作品を多数展示他、
 本丸御殿を再現した3D映像作品も上映されるそうです。

      
■■
■■ 【2】今月の・・・人?………………………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。

「武田二十四将」その6

★★★先月までのちょっと復習

「あ」・・・穴山、甘利、秋山         3人
「い」・・・板垣、一条            2人
「お」・・・飯富、小山田、小幡虎盛・昌盛親子 4人
「た」・・・武田信繁・信廉兄弟、多田     3人

★★★「さ」ではじまる武将は2人!

(さ)真田信綱(さなだのぶつな)・・・信玄の隠れた軍師といわれる真田幸隆の
     嫡男。川中島の戦いでは旗本組として活躍。三方ヶ原でも先陣を
     つとめる。真田氏を継いだ翌年の長篠の戦いで戦死。

(さ)三枝守友(さいぐさもりとも)・・・甲斐武田氏に名族三枝氏を一族の石原
     守綱が再興することを許されての3代目。守友は信玄、勝頼の2代に
     仕えました。勇者として評判を高めた守友が譜代の山県昌景の猶子と
     なり山県善右衛門となったとの説もあります。長篠の戦いで戦死。

★★★「や」ではじまる武将は2人!

(や)山県昌景(やまがたまさかげ)・・・はじめ飯富源四郎。信玄の嫡男義信と
     その重臣だった兄:飯富虎昌の謀議を訴え出て、三百騎の侍大将に
     昇進。その後、名門山県氏の名跡を継ぎました。

(や)山本晴幸(やまもとはるゆき)・・・「勘介」の方が有名。甲陽軍鑑によると
     三河出身。各国の事情に精通し天文・兵法・槍術など武芸を体得した
     兵法者でした。自らが提言した川中島の戦いの「きつつき戦法」が
     上杉軍により裏をかかれてしまい戦死。

※武田二十四将は描かれた時代や絵師によってメンバーが違いますので、
 武田神社古城址蔵版を参考に書いています。 

■■
■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

   「ニ頭波」←(正確な読みがわかりませんでした。
          申し訳ございません。どなたかご存知でしたら
          教えてくださいませ。)
  
 ニ頭波といえば、斉藤道三が自ら考案したといわれる家紋です。
立ち波紋の一種で独自性があり他の波紋群と少し違い洗練された感じがします。

波紋は波浪を模様としたもので、波の進退する様子(寄せ返しが自在)が
用兵の術にかなっていることから尚武の意味があり、武士の家紋へ
転じたそうです。

また古代から海上に起こる竜巻が水の神:竜神と考えられたことからも
波紋には竜神をシンボル化した威力をもつとも言われています。

再来年のNHK大河ドラマは「山内一豊の妻」だそうですが、この
山内一豊も波紋を使用していました。山内一豊というと土佐柏(三葉柏)の
家紋が一般的ですが、家臣が先祖代々から使っていた立波紋の意味を知ると
その家臣に切望して自らの冑に立波紋をつけて戦ったそうです。
(その家臣には柏紋を遣わせたそうです。)
大河ドラマの中で使用される紋が三葉柏か立波かも楽しみのひとつと
なりそうですね。(再来年ですが・・・)


   ニ頭波と立波の家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm
 

■■
■■ 【4】できごと……………………………………………………

 安土桃山時代(織豊時代)以前の戦国時代にあえてスポットをあてて
応仁の乱から各地の動向や合戦の1550年頃までをみてきました。
現在は文化面等のできごとをご紹介しています。
今月は貨幣を考えてみました。

 「永楽銭」と「甲州金」

 1457年ごろに明から大量に輸入された永楽銭が国内の通貨になりました。
戦国時代の一般的な貨幣は永楽銭といってもよいかもしれません。
撰銭令(※)からは明から輸入した貨幣は永楽銭の他に洪武銭(こうぶせん)、
宣徳銭(せんとくせん)もあるかことがわかります。国内では悪銭しか
鋳造できず、銅銭は輸入にたよっていました。

・※撰銭令(えりぜにれい)・・・中世の銭は私鋳銭や割れたり欠けたりした
     悪銭が多く、取引を拒否するなどのトラブルが多発したため
     幕府が指定した悪銭の使用を禁止し、良銭に一定比率で
     良銭に準ずる悪銭をまぜて流通させることを命じたもの。

銅がだめなら「甲州金」などように金は?と疑問になりますが、
武田信玄の時代に貨幣としてどれだけ金が流通していたかは不明だそうです。
おもに賞賜用に用いられたと考えられています。金は重さで価格が決まる
秤量貨幣だったため、日常の取引には不便だったかもしれません。
武田勝頼の頃(1577頃)には甲州金山は衰退期に入ってしまいます。

余談ですが、武田家滅亡後に武田金山衆の多くは徳川氏に仕え、
その技術は佐渡などの金山開発に大いに生かされたそうです。

(永楽銭は織田信長の旗印として使われていることも有名ですが、
 現在なら一万円札の旗みたいなイメージでしょうか???
 お金持ちな感じがしますね。)

■■
■■ 【5】お知らせ…………………………………………………

●新商品「戦国武将陶人形」

 陶芸家:仲田康生氏がひとつひとつ丁寧に焼き上げた陶器の武者人形
シリーズの取り扱いを開始いたしました。銅像とはまた違った味わいの
仲田ワールドをお楽しみ下さいませ。(現在19種類)

戦国武将陶人形
http://www.aduchimomoyama.com/s_18ningyo.htm

●新商品「スタンプ台」

 朱肉色のスタンプ台の取り扱いを開始いたしました。大きな朱肉は
一般家庭ではなかなか準備がありませんが、これがあれば、
大き目の虎朱印や天下布武はんこでにもらくらく朱肉色で押印できます。
同時に金・銀スタンプ台も取扱開始。黒い用紙に押印すると良く映えます。

スタンプ台(はんこのページ)
http://www.aduchimomoyama.com/s_3hanko.htm

●戦国武将ミニのぼり旗の在庫切れが多発しておりまして
大変ご迷惑をおかけしております。申し訳ございません。
極力早く入荷できますよう動いておりますので、今しばらく
お待ちいいただけますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

戦国武将ミニのぼり旗
http://www.aduchimomoyama.com/s_1nobori.htm

…………………………………………………………………………………
今月も最後までお読みくださりどうもありがとうございました。

メルマガバックナンバーのページに2004年発行分のメルマガも
追加いたしました。

http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine_m.htm

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2004/11月号
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「波紋」
二頭波 立波 波の丸
●斉藤道三ののぼりあります
2004年12月号                      バックナンバー目次に戻る

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    安土桃山通信 12月号   2004/12/01
………………………………………………………………VOL.35

 ご講読ありがとうございます。
安土桃山通販看板娘"いろは"がお届けします。
世間はヨン様ブームですね。戦国時代のヨン様は、やはり
諏訪(武田)四郎勝頼でしょうか(単に4つながりだけ)・・・。
前田利家も四男で又左衛門の前に孫四郎と名乗っていました。
二人とも四男でありながら家督を継ぐというめずらしいケース
ですよね。戦国のヨン様もすごい!

さて今月の「NHKその時歴史が動いた」は12/1はお休み。
12/8「蘇我入鹿」・12/15「土方歳三」・12/22・12/29もお休み。
あぁ今月も戦国物はなしです。ガッカリ。昨年同様年末年始の
戦国テレビ増刊号メルマガを今月中に発行する予定ですので
こちらはお楽しみに・・・。

■■
■■ 目次…………………………………………………………

【1】今月のちいさな発見 「戦国待受本陣」「ゆるりの集い」
【2】今月の・・・人?  「武田二十四将」その7
【3】今月の家紋     「ニ頭波」追記と「蛇の目」
【4】できごと      「大内文化」
【5】お知らせ      「新商品:鐔文鎮
                  携帯ストラップ」他

■■
■■ 【1】今月のちいさな発見…………………………………

   ★★「戦国待受本陣」★★

 皆さんは携帯電話をお持ちでしょうか?「戦国待受本陣」という
携帯電話の待受画面を"無料"でダウンロードできるサイトが
オープンしましたよ。登録武将数100名以上、画像2000種以上!
いっぱいあって迷ってしまいます。それがまた楽しいぃぃ!
下記URLを携帯に転送して、おおいに待受画面を楽しみましょう。

 http://www.cocktail.st/sengoku-k/

"いろは"は現在大谷吉継の待受画面です。(^o^)
Y様情報提供どうもありがとうございました。


   ★★「ゆるりの集い」★★

"いろは"は先日「ゆるりの集い」「ゆるり甲冑隊」に入隊しました。
 
 http://www.kyoto.zaq.ne.jp/yamasiroya/yururi-annai.html

こちらは歴史好きの仲間が集って時代行列に甲冑を着用しての参加や
お城見学などを行っています。関西が拠点ですので、関東在住の
"いろは"はまだイベントに参加したことはありませんが、
主催者の辰之進さんから届く瓦版(メルマガ)を見ているだけでも
わくわく楽しいです。関西に移住したくなります。
なんの軍功もないのに"いろは"は「旗奉行」にしてもらいました。
(のぼり旗が大好きなので・・・(笑))
入会金や年会費はありませんので、おおいに戦国を楽しみましょう。


■■
■■ 【2】今月の・・・人?(第二回)……………………………

 数字が入るひとくくりの武将グループを紹介しています。

「武田二十四将」その7

★★★先月までのちょっと復習

「あ」・・・穴山、甘利、秋山         3人
「い」・・・板垣、一条            2人
「お」・・・飯富、小山田、小幡虎盛・昌盛親子 4人
「さ」・・・真田、三枝            2人
「た」・・・武田信繁・信廉兄弟、多田     3人
「や」・・・山県、山本            2人

★★★「は」ではじまる武将は3人!

(は)馬場信春(ばばのぶはる)・・・信虎、信玄、勝頼に仕えた譜代の老臣。
     旧姓・教来石(きょうらいし)景政。信玄の命により馬場氏を
     継ぎました。長篠の合戦で戦死するまではかすり傷ひとつ
     受けなかったという智勇兼ね備えた猛将です。
     
(は)原虎胤(はらとらたね)・・・信虎、信玄の二代に仕えた武将。通称
     「鬼美濃」で有名です。千葉氏(平家)の後裔で信虎の代に
     甲斐に移り迎えられました。勇猛さと美濃守であったことから
     「鬼美濃」と呼ばれましたが、情に厚い武将でもあったようです。

   ※原虎胤亡き後、馬場信春が「鬼美濃」にあやかれと、美濃守を
    名のることを許されています。

(は)原昌胤(はらまさたね)・・・甲斐の旧族。騎馬武者をひきいた隊長で
     陣場奉行を務めました。職がら華やかな戦歴はありませんが、
     縁の下の力持ち的存在でした。上記の原虎胤とは全く別の系統です。

   ※陣場奉行とは合戦時に地の利、水の利などの地形を見極め、味方が
    有利に戦える場所や築城予定地を選定したり、戦況を監視しつつ
    次の作戦の陣取り計画をたてるなど地味ではありますが、
    切れ者でなければ務まらない重要なお役目でした。

※武田二十四将は描かれた時代や絵師によってメンバーが違いますので、
 武田神社古城址蔵版を参考に書いています。 

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■■ 【3】今月の家紋…………………………………………………

先月のメルマガで「ニ頭波」←(正確な読みがわかりませんでした。
          申し訳ございません。どなたかご存知でしたら
          教えてくださいませ。)

と表記しましたら読者様よりお便りをいただきました。

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 こんにちは!毎回、楽しく読まさせていただいております。
 今月の家紋の「ニ頭波」は「ニ頭立て波紋」(にとうだてなみもん)
 ともいわれます。曰く、波というのは寄せては返し、寄せては返し
 の連続です。「戦というものは攻めるばかりが能ではない、
 時には引く勇気も必要だ」と、そして二つと三つの波しぶきは
 「世の中というのは割り切れることもあり、割り切れないこともある。
 自分の意のままにはならないぞ」と、戦術と教訓を物語った紋だと
 いわれています。
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あの左右にある2つと3つの「波しぶき」にまで意味があったのですねぇ。
★R・F様、本当にありがとうございました。

今月の家紋

  「蛇の目」よみ→(じゃのめ)

 加藤清正の兜にもついている有名な蛇の目紋。一見だたの輪なの
ですが、「和」や「円」に通じ円満の意味がある瑞祥的意義から
家紋になったそうです。呪符の一種という説もあります。

この形はもともと弓の弦を収めておく弦巻で、蛇の目という
呼び名が印象的だったためか、二重の輪というとなんでも
蛇の目と呼ぶようになったそうです。

「蛇の目」は輪紋の一種で輪の太さにより、蛇の目の他に厚輪、
太輪、細輪、糸輪などの種類があり毛輪まであります。
厳密に見分けるのはなかなか難しいですね。

   各輪家紋の図柄を下記URLに用意しました。
   http://www.aduchimomoyama.com/mailmagazine.htm

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■■ 【4】できごと……………………………………………………

  安土桃山時代(織豊時代)以前の戦国時代にあえてスポットをあてて
応仁の乱から各地の動向や合戦の1550年頃までをみてきました。
現在は文化面等のできごとをご紹介しています。

「大内文化」

 1539年ごろ、周防(山口県)に大勢の公家や文化人、明(中国)人が
在留し、京文化と大陸の文化の影響をうけた華やかな大内文化が
開花しました。

儒学・歌学・神道学など最高水準の京文化がもちこまれ、
堺や博多の商人も多く集まったそうです。(小京都といわれる由縁ですね)
明や朝鮮から漢籍を取り寄せて販売する「唐本屋」もあり、
明人もかなり移住していたそうです。

大内氏は勘合貿易を独占していました。
幕府を通して薩摩の島津氏に対し硫黄(輸出用)を進納させ、
松浦党に警護を命じ、石山本願寺に対してもメノウ(貢品用)
を所望したりするなど細川氏の勢力をおさえ遣明船を独占、
貿易文書には「日本国王之印」を使用したと考えられています。
大内氏の力はすごかったのですね。
この「日本国王之印」は毛利博物館に所蔵されています。
朱漆に龍と雲の沈金文様をほどこした明製と思われる
印箱に入っています。(常設展示かは不明です。すいません。)

大内氏が勘合貿易を独占することにより、周防に独自の国際的文化
「大内文化」が栄えました。

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■■ 【5】新商品…………………………………………………………

季節柄プレゼントに最適な新商品ができました。

・鐔文鎮・・・厚手の辞書や書籍をおさえるにの重厚な鐔(つば)型文鎮。
    http://www.aduchimomoyama.com/s_19tubabuntin.htm

・携帯ストラップ・・・クリスタル製。大人(?)の戦国ファンの方へ。
    http://www.aduchimomoyama.com/s_20keitaist.htm

・朱印シリーズに武田信玄・上杉謙信・豊臣秀吉が加わり
 天下布武はんこも袋入りになりました。
    http://www.aduchimomoyama.com/s_3hanko_syuin.htm

   (↑同ページに大内氏の「日本国王之印」ゴム印も追加)

新しい商品もどうぞよろしくお願い申し上げます。


■オマケ………………………………………………………………………

またまたパソコン誤字変換シリ〜ズ
・「立花氏」と入力しようと思ったら・・・「立ち話」(井戸端会議?)
・「元就」と入力しようと思ったら・・・「本なり」(彼は人間なり)

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